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「上根〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

上根の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
坂本竜馬《さかもとりょうま》のような豪傑でも時々は治療をうけたと云うから、早速|上根岸《かみねぎし》まで出掛けて揉《も》まして見た。ところが骨を揉《も》まなけれ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
のかたき討ちというのです。 この仇討は十一月の二十八日、常陸国《ひたちのくに》上根本村の百姓、幸七の妹おたかというのが叔父の助太刀で、兄のかたき与右衛門を天王....
小田原陣」より 著者:菊池寛
である。見たところ此れ位呑気な戦争は、戦国時代を通じて外にあるまい。こうなった以上根気較べの他はない。 小田原城の陥落 戦争のやり方も相手に依り....
夏目漱石先生の追憶」より 著者:寺田寅彦
の習慣があったと見える。 高等学校を出て大学へはいる時に、先生の紹介をもらって上根岸鶯横町に病床の正岡子規子をたずねた。その時、子規は、夏目先生の就職その他に....
社会時評」より 著者:戸坂潤
力が不足だったのに基くということが明らかになった。要するにこの新型水雷艇は、設計上根本的な弱点を持っていたというのである。 友鶴はロンドン条約の欠陥を補うため....
白金之絵図」より 著者:泉鏡花
老人、腰掛に弁当を持参いたす。平に、この儀お聞済が願いたい。 口惜や、われら、上根ならば、この、これなる烏瓜|一顆、ここに一目、令嬢を見ただけにて、秘事の悟も....
根岸庵を訪う記」より 著者:寺田寅彦
へ廻ると坂の上に三十くらいの女と十歳くらいの女の子とが枯枝を拾うていたからこれに上根岸までの道を聞いたら丁寧に教えてくれた。不折の油画にありそうな女だなど考えな....
子規の追憶」より 著者:寺田寅彦
ことは横町の入口の両脇の角に「ユヤ」「床ヤ」と書いてある。それから不折邸の横に「上根岸四十番」と記し、その右に大きな華表を画いて「三島神社」としてある。ずっと下....
子規自筆の根岸地図」より 著者:寺田寅彦
行の右側へ書き入れになっている。表面には「駒込|西片町十番地いノ十六 寺田寅彦殿上根岸八十二 正岡|常規」とあり、消印は「武蔵東京|下谷 卅三年七月二十四日イ便....
染吉の朱盆」より 著者:国枝史郎
根岸の方へ下ったが、忽ち大難にひっかかってしまった。 七 今日の上根岸、百十八番にあたるあたり、その頃は空地で家などはなかった。 ところが一軒....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
ことになるのだからじっと我慢していなければならなかった。それは随分辛かった。その上根岸は蚊が名物なので、そうやっている手にも首筋にも額にも蚊が来てとまる、それを....
木曽御嶽の両面」より 著者:吉江喬松
立ち並んでいる。久振りで知人に逢ったような気がした。 見座という村を通って、郡上根という小さな峠を越す。眼界がやや開けて稲田のつづいているのが目に這入る、この....
法然行伝」より 著者:中里介山
あるようなものである。聖道門《しょうどうもん》の修業は正像の時の教えであるが故に上根上智のものでなければ称することは出来ない。これを仮りに西国への宣旨とする。浄....
私本太平記」より 著者:吉川英治
て。 「……卯木どの。それも、どこかで聞いたような気はするが? ……さて、これ以上根ほり葉ほりは、ごめいわくであろ。それだけ伺っておけば、またいつか、再会の縁に....