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「上洛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

上洛の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
古千屋」より 著者:芥川竜之介
来、二条《にじょう》の城にとどまっていた。それは将軍|秀忠《ひでただ》の江戸から上洛《じょうらく》するのを待った後《のち》、大阪の城をせめるためだった。)この使....
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
入れて仕まつれ」と、家来は直垂《ひたたれ》の袖で鼻をこすった。 坂東武者も初の上洛に錦を飾って来たとみえて、その直垂には藍の匂いがまだ新しいようであった。 三....
鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
に取っては大きい不安のかたまりであった。 この時代には引きつづいて江戸の将軍の上洛《じょうらく》があった。元和《げんな》九年には二代将軍秀忠が上洛した。つづい....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の騒がしい最中で、押込みは流行る、辻斬りは流行する。放火は流行る。将軍家は二月に上洛、六月に帰府、十二月には再び上洛の噂がある。猿若町の三芝居も遠慮の意味で、吉....
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
た。三島のお嬢さまはその後どうしたか知りません。お近さんのお父さんは十五代将軍の上洛のお供をして、明治元年の正月、彼の伏見鳥羽の戦いで討死したと云うことです。 ....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
。信濃から春日山城までは、わずか十数里である。常に武田の脅威を受けていては、謙信上洛の志も関東経営の雄志も、伸すに由ないのである。今北信の諸豪が泣きついて来たの....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
、より大なろうとして居る強者の為にもみつぶされて仕舞うことになる。志ある者は必ず上洛して、天子の下に、政治経済の権を握って富強を致そうと望むのが当然である。こう....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
長の遺した事業に対し、偉大なる発言権を握ったわけだ。勝家以下の諸将が、変に応じて上洛を期したけれども、秀吉の神速なる行動には及ぶべくもなかった。だが、信長の遺児....
鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
昂していた人心が更に油をかけられるわけで、温健なる慶喜も、遂に討薩の表を作って、上洛することに決した。 慶応四年の正月三日である。むろん、之より先、伏見、鳥羽....
真田幸村」より 著者:菊池寛
別れて、家康に随ったわけである。 所が、天正十六年になって、秀吉が北条|氏政を上洛せしめようとの交渉が始まった時、北条家で持ち出した条件が、また沼田の割譲であ....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
たことになって居る。 併し政弘と云い、義就と云い、一旦その領国を固めて捲土重来上洛の期を謀って居るのである。亦京都に於ける東西両軍は解散したが、帰国して後の両....
小田原陣」より 著者:菊池寛
策の氏政は遂に大勢を誤ったのである。即ち秀吉の実力を見そこなったのである。秀吉に上洛を迫られた時、忙しくて京都まで行って居られぬと断った。尤も氏政にしてみれば徳....
蜘蛛の夢」より 著者:岡本綺堂
ざいます。前にも申上げました通り、文久三年、この年の二月十三日には十四代将軍が御上洛になりまして、六月の十六日に御帰城になりました。そのお留守中と申すので、どこ....
画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
じております。こうして、精進をつづけて、雪の図ができ上がりました時、三室戸様が御上洛なされ「なかなかの力作だ、是非、六月の行啓に間に合わせ、御所で上納できるよう....
花筐と岩倉村」より 著者:上村松園
里に居給う大跡部の皇子が、御位を継がせ給うて継体天皇となり給うについて、俄かに御上洛を遊ばされる時、御寵愛の照日前に玉章と形見の花籠を賜わったが――照日前に、花....