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上頭
「上頭〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
上頭の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「思い出す事など」より 著者:夏目漱石
り分らない。思うに一日生きれば一日の結構で、二日生きれば二日の結構であろう。その
上頭が使えたらなおありがたいと云わなければなるまい。ハイズンは世間から二|返《へ....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
た。まじめな顔をしている時はブルドッグのようであり、笑う時は虎のようだった。その
上頭が小さく、頤《あご》が大きく、髪の毛は額を蔽《おお》うて眉毛の上までたれ、両....
「美術学校時代」より 著者:高村光太郎
。岩村透先生がフランスから帰ってきて何もかも新式だというので旋風を巻き起し、その
上頭も良かったのでまるで学校中を掻き廻すような有様であった。いろんなことをやり出....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
年代も多少推測が出来るかも知れない。 この閉頭果の本には三片の小形苞があり、
上頭には相接して多数の小形苞が重って、その口を塞いでいるのが見られる。果体すなわ....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
り。これらは大宮人が安倍宗任を夷なりと嘲り、藤原清衡がみずから東夷の遠酋、俘囚の
上頭をもって任じたると趣を異にし、事実蝦夷ならぬものを指して、東夷または夷と称す....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
、虜陣戎庭之が為に虞れず。斯の時に当りて弟子苟くも祖考の余業を資け、謬つて俘囚の
上頭に居る。 彼は実に東夷の遠酋であり、父祖の余業を承けて俘囚の
上頭にいたもの....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
あったと解せられます。ことに藤原清衡の如きは、自ら「東夷の遠酋」と云い、「俘囚の
上頭」と云い、その配下を称して「蛮陬夷落」、「虜陣戎庭」などと称し、京都の公家衆....
「審判」より 著者:カフカフランツ
こんな下っ端の連中――彼ら自身が、そうだ、と白状している――のおしゃべりでこれ以
上頭を混乱させられる必要なんかあろうか、と彼は思った。連中は、自分自身でもまった....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
気が稀薄になりますので動悸は劇しく打ち出し呼吸は迫って気管が変な気合になり、その
上頭脳の半面は発火したかのごとく感じてどうにもして見ようがない。もちろんその辺に....