下市[語句情報] » 下市

「下市〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

下市の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
思い出の記」より 著者:小泉節子
ず、俸給も独り身の事であるから沢山は要らないから、赴任したようでした。 伯耆の下市に泊って、その夜盆踊を見て大層面白かったと云いますから、米子から船で中海を通....
その年」より 著者:宮本百合子
えから云った。 「丁度調子が出て来るころだから」 「タバコ買いにも停めんか」 「下市までは飛ばすなあ」 下市は、二つ先のやや大きい村である。お茂登は、時々自転....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
モと敬語に訓んだのもある。 補記、近時土屋文明氏は「滝つ河内」はもっと下流の、下市町を中心とした越部、六田あたりだろうと考証した。 ○ ....
那珂川の鱸釣り」より 著者:佐藤垢石
が、かつて幸田露伴翁も那珂川で鱸の大釣りをやったことがあるそうだ。場所は、水戸市下市の汽船発着場の下手らしいが、小舟の胴の間一杯釣ったらしい。それは、もう二、三....
私本太平記」より 著者:吉川英治
に産する砂鉄は刀鍛冶にはなくてならない物であり、大山祭りの年四たびに開かれる上市下市の牧の牛馬の売買からあがる税も少なくはない。 だが藤原氏の衰微につれ、大山....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
そうと私は今、武蔵塚で話しかけられたまったく不見不識の三名の案内者と、観光局長以下市の吏員たち、また東京以来同伴しているN画伯などの同勢七、八名でどやどやと、今....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
どこであったかと、史蹟や史論も紛々なすがただ。「船上記」「伯耆巻」などは大阪港(下市)と載せ、「梅松論」には野津とみえ、「増鏡」には稲津ノ浦とあり、諸書みなちが....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
あくが、史実上の二人の吉野籠りは、冬だった。おそらく全山四岳、雪だったろう。車で下市へ下り、谷崎氏の“吉野葛”にも見える弥助鮨の楼上に休んで鮎ずしを食う。奈良で....
山の人生」より 著者:柳田国男
を世襲し聖護院の法親王御登山の案内役をもって、一代の眉目としておりました。吉野の下市の町近くには、善鬼垣内という地名もあって、この地に限らず五鬼の出張が方々にあ....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
である。東部日本の多くの都会にあるアラマチ(粡町)という地名は、もと玄米調製が城下市街の事務であったことを示している。 稲を穂のままで運びまた貯蔵するの不利は....