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下旬
「下旬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
下旬の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「西郷隆盛」より 著者:芥川竜之介
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かれこれ七八年も前にもなろうか。丁度三月の
下旬で、もうそろそろ清水《きよみず》の一重桜《ひとえざくら》が咲きそうな――と云....
「浜菊」より 著者:伊藤左千夫
ると、もう番神堂が目に浮んでくる。去年は今少し後であった。秋の初め、そうだ八月の
下旬、浜菊の咲いてる時であった。 お繁さんは東京の某女学校を卒業して、帰った間....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
く注意した処から、自分で進んだ次第ではなく、道子が出席することになった。――六月
下旬の事なりけり。 朝涼の内に支度が出来て、そよそよと風が渡る、袖がひたひたと....
「宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
だことについて、ここに改めて感謝の意を表しておきたいと思う。 昭和六年八月
下旬 本郷曙町に於て寺田寅彦....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
向う。 十一月十八日 ◯岡東弥生さん、飯田氏へ嫁ぎたり。 ◯朝子育郎両人昨十月
下旬、徹郎君所在の広島へ移る。(カゴシマより) 十一月二十六日 ◯朝、風少しあ....
「鶴は病みき」より 著者:岡本かの子
倉雪の下、長谷、扇ヶ谷辺を葉子は良人と良人の友と一緒に朝から歩き廻って居た。七月
下旬から八月へかけて一家が避暑する貸家を探す為めであった。光る鉄道線路を越えたり....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
知れるので、私たちは困った。(昭和2・10「時事新報」) 三崎町の原 十一月の
下旬の晴れた日に、所用あって神田の三崎町まで出かけた。電車道に面した町はしばしば....
「白金之絵図」より 著者:泉鏡花
一旦の御見、路傍の老耄です。令嬢、お見忘れは道理じゃ。もし、これ、この夏、八月の
下旬、彼これ八ツ下り四時頃と覚えます。この邸町、御宅の処で、迷いに迷いました、路....
「獄中消息」より 著者:大杉栄
が出るとしても、体裁上今すぐというわけにも行くまい。僕は子供の都合上、来年三月の
下旬あるいは四月上旬をもってその期としたい。その時はちょうど学年の終りあるいは始....
「鴛鴦鏡」より 著者:岡本綺堂
暦による、在方では旧暦によるという風習になっているので、今この事件の起った正月の
下旬も、在方では旧正月を眼の前に控えている忙がしい時であった。例年に比べると雪の....
「春」より 著者:岡本かの子
って花弁の縁が褐色に褪せているが、中部の枝には満開の生き生きした花が群がり、四月
下旬の午後になったばかりの精悍な太陽の光線が、斜めにその花の群りの一部を截ち切っ....
「山吹」より 著者:泉鏡花
男、童女二人。よろず屋の亭主。馬士一人。 ほかに村の人々、十四五人。 候 四月
下旬のはじめ、午後。―― 場面。一方八重の遅桜、三本ばかり咲満ちたる中に、よろず....
「画工と幽霊」より 著者:岡本綺堂
する。で、その中に私とあるのは、即ち其の目撃者たる画工自身の事だ。 今年の七月
下旬、私は某友人の紹介で、貴族エル何某の別荘へ避暑かたがた遊びに行った事がある、....
「西航日録」より 著者:井上円了
わが国よりも軽きがごとく感ずれども、寒気の時期の永き点はわが国の比にあらず。三月
下旬鶯花の節において、なお霜風凍雨を見る。快晴の日は、十日または二十日間に一回あ....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
王は墺国のシュレージエン回復計画の進みつつあるを知り、一七五六年開戦に決して八月
下旬ザクセンに進入、十月中旬頃ザクセン軍主力を降服せしめ、同国の領有を確実にした....