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下阪
「下阪〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
下阪の前後の文節・文章を表示しています。該当する5件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
下を慰撫しながら、閣老参政及び会桑二藩士を率いて、大阪へ下ったのである。 此の
下阪に対し朝廷側では大阪の要地を占め、軍艦を以て海路を断ち薩長を苦しめるためだろ....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
尤も松平春嶽公あたりよりも同じ勧説があったので、慶喜公は遂に会桑侯等を率いて急に
下阪せられることになった。そこで新藩主も共に
下阪されることになったが、兼て朝廷よ....
「妾の半生涯」より 著者:福田英子
党の議起り、板垣伯《いたがきはく》を始めとして、当時名を得たる人々ども、いずれも
下阪《げはん》し、土倉庄三郎氏もまた大阪に出でしとの事に、好機|逸《いっ》すべか....
「わが寄席青春録」より 著者:正岡容
の土を踏んだわけであるが、宝塚スターの恋愛時代だった大正大震災前後も一年の半分は
下阪していたのだったから、今度の帰京はずいぶん久しいもののように思えた。 もっ....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
がきまったので、団十郎は門下の八百蔵、女寅、染五郎などに女形の中村富十郎を加えて
下阪した。勿論、大阪歌舞伎と銘を打っている劇場であるから、大阪俳優のうちから中村....