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下馬
「下馬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
下馬の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「俊寛」より 著者:芥川竜之介
は凡夫も同じではないか? あの実方《さねかた》の中将は、この神の前を通られる時、
下馬《げば》も拝《はい》もされなかったばかりに、とうとう蹴殺《けころ》されておし....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
松の緑は夜目にもそれと青み、水は満々と外濠《そとぼり》内濠の兵備の深さを示して、
下馬門、二の門、内の門と見付け見付けの張り番もきびしく、内外ともに水ももらさぬ厳....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
めて、しいんと水を打ったようです。その中をお駕籠は粛々と行列をつづけて、駕籠止め
下馬の山門に乗りつけたのがかっきり六ツ下がりでした。ここから先は、天下のご執権老....
「夢十夜」より 著者:夏目漱石
と云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに
下馬評《げばひょう》をやっていた。 山門の前五六間の所には、大きな赤松があって....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の辺に立ち廻っているらしい。と云うのは、ここらに遊んでいる本助という奴が早稲田の
下馬地蔵の前を通りかかると、摺れ違った男がある。むこうは顔をそむけて怱々に行き過....
「母子叙情」より 著者:岡本かの子
まり知らない様子。武蔵野のことは委しかったが、それにも限度があった。彼の家のある
下馬沢を中心に、半径二三里ほど多少|歪みのある円に描いた範囲内の郊外だけだった。....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
監物貞勝等と共に兵三千、菅沼新八郎を教導として進発した。松山越の観音堂の前で各々
下馬して、甲冑を荷って嶮所をよじたが、宵闇ではあるし行悩んだ。忠次、そこで案内者....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
橋を渡って大伝馬町をのぼり、四丁め、三丁め、二丁めと本町をいって、常盤橋御門から
下馬止めへかかるのが順序でした。 道は暗い。 狙うなら恰度頃合い……。 そ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
な獲物の内容に就いては秘密に附されただけに、松島から青葉城下へかけて、さまざまの
下馬評と、見て来たような当て推量が、事実らしく伝えられたのは是非もありません。 ....
「自警録」より 著者:新渡戸稲造
」 という。外人は得意になって、駕籠《かご》のそばに来たり鞍《くら》を見せんと
下馬し脱帽して挨拶《あいさつ》した。そのとき通訳官は、 「この外人はまことに恐れ....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
を作るのだと申したら、軽輩が大勢馬上で、拙者らが徒歩で、もし出逢った時には、一々
下馬して通りますか、それとも乗打ちしますか、たださえ、上を軽んじる風が現れた折、....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
着くまで陥りました。私は早速馬より飛び下りましたが博士も馬上で驚いて居られたが、
下馬していいますには馬はとても駄目だがあの荷物を取る工夫はあるまいかといわれまし....
「家庭料理の話」より 著者:北大路魯山人
、この程度のお世辞が、その老女中の名を高からしめ、その料理は美味いということに、
下馬評として決められたのである。 なるほど、素人にはできないことをやるから、ち....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
ジニア軍の左側を攻撃、これを撃破する決心であった。当時海岸線は車も通れず、騎兵は
下馬を要する処もあった。海岸からサルジニアに進入するためにはサボナから西北方アル....
「春の大方山」より 著者:木暮理太郎
た長閑さであった。 上原の部落から本道を離れて六、七町西に行くと駒止桜がある、
下馬桜とも称しているらしい。そこは白糸村の内で狩宿と呼ばれ、建久四年五月に源頼朝....