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与党
「与党〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
与党の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
る一派の水戸の志士たちとも東西相呼応して事を挙げようとしたそれらの種々の計画は、
与党の一人なる近江人の捕縛より発覚せらるるに至った。この出来事があってから、長州....
「暗黒公使」より 著者:夢野久作
あることが判明したから、そのつもりで船の手配を考慮されたい事……又、日本の現政府
与党、憲友会の幹事長Y氏が、××大使の紹介の下に貴下に会いたがっている。これは日....
「一票の教訓」より 著者:宮本百合子
が思いおこされた。それは「偽装の魅力『国民戦線』」という見出しの記事であった。「
与党工作の舞台裏」で楢橋氏が首相を動かしているいきさつが解剖され、極めて興味ある....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
有っているのであるが、その名称そのものが抑々擬名であるのは全く遺憾だ。 当時準
与党として解散によって気を好くしていた民政党は、比較的正直に本音を吹くことの出来....
「鏡心灯語 抄」より 著者:与謝野晶子
を振粛しようとするであろう。議会に多数を制していた政府反対党の人々も、大隈内閣の
与党と称せられる人々も、もし一片の良心を存しているなら、今更のように時代の激変に....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
此方と奔走して説諭をしたのであった。がなかなかそれらの説諭には承服せない、一揆の
与党には温泉《おんせん》郡、和気《わけ》郡、風早《かざはや》郡、野間郡等も加わっ....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
。彼ら三人は、バベとグールメルとのふたりの首領が監禁されてるパトロン・ミネットの
与党であると推察された。ブリュジョンの贈った書き物は、それらの家へ届けられたので....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
めで、翌二十三年一月の大会では正式に書記長に就任した。この当時の社会党はいわゆる
与党であり、私は党務の責任者だ。野党慣れした私が当時の野党であった自由党に対抗、....
「三国志」より 著者:吉川英治
威の恩浴を垂れたまえ」と、軍門に降ってきた。 陽城を墜した勢いで、 「さらに、
与党を狩りつくせ」 と、朱雋の軍六万は、宛城(湖北省・荊門県附近)へ迫って行っ....
「三国志」より 著者:吉川英治
風の旅をつづけていた。 やがて洛陽へかかる途中に、一つの関所がある。 曹操の
与党、孔秀というものが、部下五百余騎をもって、関門をかためていた。 「ここは三州....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
先帝の隠岐送りも、行く先、すこぶる危ないもので、おそらく、児島高徳の一類に楠木の
与党も交じって、その途上に、手ぐすね引いて、おろうかと観られまする」 「右馬介。....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、須ラク、誅戮シ奉ルモ、構ヒナシ 諸寺諸山、非職員ノ住侶、又、タトヘ凡下放埒、
与党賊徒ノ輩タリトモ、忠節ノ実ヲイタス有ラバ、賞トシテ、近江国|麻生ノ庄ヲ宛テ賜....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
南部、結城などの大族があり、やがて白河を越え、雪もうすらぐと、上野地方から新田|
与党の参陣もみえて、兵は五千余騎に達していた。 だが、予想以上な日かずを費やさ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ぶかられていた。 すでに三月である。 先発の先鋒軍は、とうに赤松円心や足利の
与党がいる播磨地方へついているころだ。――にもかかわらず、尊氏討伐の総帥たる左中....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
くか、などと考えている者は恐らくこの黒田官兵衛ぐらいなものでしょう。まず悉く毛利
与党です」 「む。さもあろうか」 「陸上はしばし措いても、瀬戸内から摂津領一円、....