» 丑寅

「丑寅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

丑寅の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜明け前」より 著者:島崎藤村
恐れた。時には九十六|間からある長い橋の上に立って、木造の欄干に倚りかかりながら丑寅の方角に青く光る遠い山を望んだ。どんな暑苦しい日でも、そこまで行くと風がある....
石狩川」より 著者:本庄陸男
方角は寅《とら》と卯《う》の境あたりに取った。その先にある某地点、この谷川の水が丑寅《うしとら》の方向に転ずるところ、そこが第二の屯営《とんえい》であろう。ひそ....
十二支考」より 著者:南方熊楠
に向うて亥戌酉申より丑子まで十二支を逆さに三度繰り返すべしと。また一法は、戌亥子丑寅と五支の名を唱えつつ五指を折り固むるのだと。ただしその法幾度行うても寸効なか....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
することは、いつも変りがありません。 「ナニ、大したことはござんせんがね、これが丑寅《うしとら》に変らなけりゃあ大丈夫ですよ。そんなことはありゃしませんよ。それ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、裏街道を通って萩原入《はぎわらい》りから大菩薩峠を越す時に、峠の上の妙見堂から丑寅《うしとら》の方に大きな栗の木があるから、その洞《うつろ》の下を五寸ばかり掘....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ろおろとして見やったのは、人よりは猫が可愛かったからです。そうすると早くも認めた丑寅《うしとら》の方一隅に向って、 「あれ、あそこに玉が――」 かけつけて、手....
十二支考」より 著者:南方熊楠
、元の時泰山に立てた碑に泰定鼠児の年、また至正猴児の年とあり、北方諸国には以前子丑寅卯の十二支なく専ら鼠牛虎兎の十二禽で年を紀した。それが支那に伝わり十二支と合....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
た。 ※の裏門から出て、千光寺山へ登る山ふところに林にかこまれた神社があった。丑寅神社と言って氏神であった。或る日私は氏子総代の伯父につれられてこの神社に参詣....
魔都」より 著者:久生十蘭
ら牛頭《ごず》、馬頭《めず》と二人の亡者に両手を引かせた絵をかく。丑の刻に座敷の丑寅に坐って、線香の火で、目、口、鼻、四肢、腹、心臓という具合に、毎日一カ所ずつ....
つづれ烏羽玉」より 著者:林不忘
きております」 「どこに、どこにいる?」 丹三が思わず口を出した。 「ここから丑寅《うしとら》の方に立派に生きております」 「何をいやんでえ! うせ物じゃああ....
おせん」より 著者:邦枝完二
痛ッ。――だ、だれだ」 「だれだじゃねえや、てえへんなことがおっ始まったんだ。子丑寅もなんにもあったもんじゃねえ。あしたッから、うちの小屋は開かねえかも知れねえ....
釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
月が澄めば澄むほど、物の陰は暗くもなろう。真黒な三つの塊りが川の字形に跡を踏んで丑寅《うしとら》の角へ動いて行ったのは、あれで、かれこれ九つに近かった。 「通う....
釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
二 八州屋孫右衛門は雨に濡れた衣服のまま頭部をめちゃめちゃに叩き毀されて、丑寅《うしとら》を枕に、味噌蔵の入口に倒れていた。赤黒い血糊が二筋三筋糸を引いた....
釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
掴むと、 「のう、彦、大の男がこの界隈から一時あまりで往復《いきけえ》りのできる丑寅の方と言やあ、ま、どの辺だろうのう?」 「急いでけえ?」 「うん。」 「丑寅....
飯待つ間」より 著者:正岡子規
触れる音が盛んにして居る。 見る物がなくなって、空を見ると、黒雲と白雲と一面に丑寅《うしとら》の方へずんずんと動いて行く。次第に黒雲が少くなって白雲がふえて往....