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世が世ならば
「世が世ならば〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
世が世ならばの前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或る女」より 著者:有島武郎
て猛獣のようなこの男を見た時から、稲妻のように鋭く葉子はこの男の優越を感受した。
世が世ならば、倉地は小さな汽船の事務長なんぞをしている男ではない。自分と同様に間....
「真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
《うち》に出来たのは此のお賤」
八十八
尼「此娘《これ》も
世が世ならばお旗下のお嬢さまといわれる身の上だが、運の悪いというものは仕方がない....
「河明り」より 著者:岡本かの子
ても否や。なにしろこの息子は木下家の一粒種なのだから……」 母親はふだんから、
世が世ならば、こんな素町人の家の娘をうちの息子になぞ権柄ずくで貰わせられることな....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
事をはじめた上は、いまさら自分が是非を論じても駄目だと思ったからであります。 「
世が世ならばこんなことはしたくはないが、時勢を聞いてみると、どうしてもここに安ん....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
た盃が急に苦くなります。 「殿様には、よくまあ御不自由の中に御辛抱をなさいます。
世が世ならば、私共なんぞは、お傍へも寄ることはできませんのに、こんなところへお越....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
と直ちに会える。
七兵衛は、そこで、はじめて駒井甚三郎に対面の挨拶をしました。
世が世ならば、土下座をしても、対談はかなうまじきはずなのを、無雑作《むぞうさ》に....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
上をそぞろ歩きをして夜気に打たれつつ、深き思いに耽《ふけ》っているのであります。
世が世ならば、この船を自分の思うままに大手を振って、いずれのところへでも廻航する....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
まい、まさかお前さんが、重清入道や、朝霧官女の身よりの者という次第でもなかろう、
世が世ならば当然、その第二の犠牲たるお八重さんという正式女房のする役まわりが、今....
「踊る地平線」より 著者:谷譲次
カヤ女史のひきいる露西亜舞踊団の公演を見ようというのだ。 倶楽部の演芸場にも「
世が世ならば」の群集があふれて、赤を呪う白の人々と、支那政府の眼をくぐって白の動....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
る使用人として一生を廃《すた》らせてしまうその責任が、この駒井にありはしないか、
世が世ならば、そなたのために、よき連合いを求めて、立派な家庭の人として仲立《なか....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
、まだ店も出してまもないのに、当り矢のお艶といえばもう浅草で知らないものはない。
世が世ならば……思うにつけはやればはやるほど気のふさぐお艶だった。
ところへ、....
「中庸」より 著者:坂口安吾
直無比の将軍である。私利私欲、利己主義のかたまりのこの村の人間とはものが違うぞ。
世が世ならば、貴様ら、足もとへ寄りつくこともできやしないんだ。死んでからでも同席....
「雪の宿り」より 著者:神西清
て御祝髪ののちの、見違えるような素円さまなのでございます。お歳ははや二十四、ああ
世が世ならばと、御立派に御成人のお姿を見るたびに、わたくしは覚えず愚痴の涙も出る....