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「両国〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

両国の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
開化の良人」より 著者:芥川竜之介
至極結構な身分だったのです。ですから彼は帰朝すると間もなく、親の代から住んでいる両国百本杭《りょうごくひゃっぽんぐい》の近くの邸宅に、気の利《き》いた西洋風の書....
河童」より 著者:芥川竜之介
》さんさえ知らずにいたらしい新事実ですから。) 「あの戦争の起こる前にはもちろん両国とも油断せずにじっと相手をうかがっていました。というのはどちらも同じように相....
奇怪な再会」より 著者:芥川竜之介
に臨んだ、極《ご》く手狭な平家《ひらや》だった。ただ庭先から川向うを見ると、今は両国停車場《りょうごくていしゃじょう》になっている御竹倉《おたけぐら》一帯の藪《....
首が落ちた話」より 著者:芥川竜之介
、最後にだんだん眼をつぶって行った。 下 日清《にっしん》両国の間の和が媾《こう》ぜられてから、一年ばかりたった、ある早春の午前である。北....
大川の水」より 著者:芥川竜之介
》松五郎が蝙蝠《こうもり》の飛びかう夏の夕ぐれに、天秤《てんびん》をにないながら両国の橋を通った時にも、大川は今のごとく、船宿の桟橋《さんばし》に、岸の青蘆《あ....
少年」より 著者:芥川竜之介
の往来へ通りかかった。黒ぐろと湛《たた》えた大溝《おおどぶ》の向うは後《のち》に両国《りょうごく》の停車場《ていしゃば》になった、名高い御竹倉《おたけぐら》の竹....
妖婆」より 著者:芥川竜之介
いばかり、紙入の中には小遣いの紙幣《しへい》まで入れてくれましたから、ちょうど東両国に幼馴染《おさななじみ》があるのを幸、その泰さんと云うのを引張り出して、久し....
追憶」より 著者:芥川竜之介
か、中村楼の桟敷が落ちたとか、いろいろの噂が伝わりだした。しかし事実は木橋だった両国橋の欄干が折れ、大勢の人々の落ちた音だった。僕はのちにこの椿事を幻灯か何かに....
宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
ビロンの間には、主にフェニシアを通じて、交通があるにはあったが、恐らくこの周期は両国で独立に見出されたものであろうと思われる。ミレトスのタレース(Thales ....
江戸か東京か」より 著者:淡島寒月
る。元治慶応明治の初年から十五、六年までの間です。私が住っていた近くの、浅草から両国|馬喰町辺の事ですか――さようさね、何から話して好いか――見世物ですな、こう....
梵雲庵漫録」より 著者:淡島寒月
や所作事にまで取り入れられたほど名高いものである。 二 それから両国の広小路辺にも随分物売りがいたものだった。中で一番記憶に残っているのは細工飴....
凧の話」より 著者:淡島寒月
、やはり三津五郎の顔であった。 それからもう一つ、私の近所で名高かったものは、両国の釣金の「堀龍」という凧であった。これは両国の袂の釣竿屋の金という人が拵らえ....
浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
。しかも、これがしだいに大小の核兵器でかためられようとしているのであります。日中両国民はこの点において、アジアにおける核非武装をかちとり外国の軍事基地の撤廃をた....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
六年の終りに上京、砂町にいた父の膝もとから砂町小学校に通い、ついで府立三中(今の両国高校)に入学した。このとき砂町小学校から七人三中を受け、私一人しか合格しなか....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
社のO君と一しょに久振りに本所へ出かけて行った。今その印象記を書くのに当り、本所両国と題したのは或は意味を成していないかも知れない。しかしなぜか両国は本所区のう....