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「両朝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

両朝の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
新生」より 著者:島崎藤村
そ、むしろこの作にふさわしい。 この作の第一部は大正七年四月に着手し、東京大阪両朝日紙上に発表した。時に四十七歳。第二部を脱稿したのはその翌年九月のことであっ....
山本有三氏の境地」より 著者:宮本百合子
末完結の予定。」その後、「女の一生」「真実一路」につづいて目下「路傍の石」が東西両朝日新聞に連載中である。 さて、この自伝の概略から、読者はどういう感銘を得る....
現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
聞)でなくなりつつあるという事実、特に吾が国に於ける代表的な四大新聞――大阪東京両朝日・大阪毎日・東京日日――が少なくとも外見上政党色を持たなくなっているという....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
一・五八〕 高市黒人 これは高市黒人の作である。黒人の伝は審でないが、持統文武両朝に仕えたから、大体柿本人麿と同時代である。「船泊」は此処では名詞にして使って....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
つけかねるようだ。神代記は云うも更なり、この神宮を伊勢の地に移したという崇神垂仁両朝の記事の如きも、伝説であって、歴史ではない。 神話とか、記紀以前の人皇史は....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
って、その後も吉野にたてこもり、六十五年がほど抗争していた。 和解の条件は南北両朝から交互に皇位につく約束であったが、後小松天皇以後への北朝はその約束をまもら....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ものになっていた。それが源氏であり、平家であり、奥州の藤原氏であり、ひいては南北両朝の対立にも影響した。そのような地下史を辿りうるように私は思う。彼らが蝶になっ....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
者は彼を浪華の津に見た。ある者は彼を堺の浦に見た。しかも前にいった明徳年中、南北両朝の和議が取り結ばれた頃から、どこでも彼の姿を見たというものはなかった。彼はも....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
等の、所謂南朝の諸国と交通を重ねたが、その後国交中断すること百余年。隋起って南北両朝の諸国を統一するに至り、推古天皇は久し振りに小野妹子を遣わして、さらに国際間....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
天皇の幕府追討の御決心の直接原因はこれであったといわれる。そしてこれが吉野時代の両朝対立にまでひびくのである。北朝は第一皇子の御血筋ではあったが、三種神器は吉野....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
本武蔵は、いつか一度は書いてみたいとのぞんでいた人物の一人であった。それを、東西両朝日新聞の紙上によって、一日一日、思いを果すような気持で構成して行ったのが、こ....
三国志」より 著者:吉川英治
森々 階ニ映ズ 碧草自ラ春色 葉ヲ隔ツ黄※ 空シク好音 三顧|頻繁ナリ 天下ノ計両朝|開濟ス 老臣ノ心 師ヲ出シテ未ダ捷タズ 身|先死ス 長ク英雄ヲシテ 涙|襟....
私本太平記」より 著者:吉川英治
のために、また仏法万代のためにとおかれた千年の法の山から、以後百年余にわたる南北両朝の争乱やら民の塗炭が、ここに始まる未来の第一声が、いま撞き鳴らされていたもの....
私本太平記」より 著者:吉川英治
祈ってあのごさいごをとげられたものだ……。それが、あのときよりもさらに烈しい南北両朝の分裂を見るとはまたどうしたことか。もし正成さまをもいちど今にあらしめば、ど....