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中京
「中京〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
中京の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「世相」より 著者:織田作之助
――彼女は石田の所へ雇われる前、名古屋の「寿」という料亭の仲居をしていた。その時
中京商業の大宮校長と知り合った、大宮校長は検事の訊問に答えて次のように陳述してい....
「古狢」より 著者:泉鏡花
お藻代が、白い手の幻影になる首途であった。 その夜、松の中を小提灯で送り出た、
中京、名古屋の一客――畜生め色男――は、枝折戸口で別れるのに、恋々としてお藻代を....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
が》き出そうとした文化、文政以後の好みといえもする。――その間に、明治中期には、
中京美人の輸入が花柳界を風靡《ふうび》した――が、あらそわれないのは時代の風潮で....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
また更に一座を見廻したものです。一座の者には、よく安直の心持がわかる。 一旦は
中京の地に於て食いとめようとして見事に失敗し、関ヶ原ではかえって相手の大御所気分....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ったけれども、いかにせん、地の利を得なかった。 北陸の鎮《しずめ》が遠くして、
中京に鞭《むち》を挙ぐるに及ばない間に、佐久間蛮甥の短慮にあやまられ、敏捷無類の....
「宝塚生い立ちの記」より 著者:小林一三
いて賢こさを少しも表に現わさない。まことに見上げたものであった。 一体に関西、
中京、関東の女を比べてみると、名古屋の女は一番発展家だ。しかし堅実だ。昔から名古....
「画室談義」より 著者:上村松園
た。これからもそのような依頼には応じたくないと思っている。 大正三年ごろ京都市
中京区間町竹屋町上ルの私の今の住居、画室を建ててから思えばもう二十幾年、当時まだ....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
祭りは、他の人と異なる意味で、私には特別に楽しみに待たれました。と申しますのは、
中京辺りの大|店では、どこの店でも家宝とする立派な屏風を、祇園祭りの間中店に飾り....
「座右第一品」より 著者:上村松園
日その続きを写しにいったりしたことがあります。 祭の夜 祇園祭の夜、
中京の大きなお店で屏風を飾られるのを写して歩くのも、私にはなかなかの勉強でした。....
「熱情の人」より 著者:久保栄
、小山内先生をもって嚆矢とするのである。追悼記念公演の名のもとに、築地および京阪
中京の三都に上演される「夜の宿」「桜の園」は、この意味における日本最初の追憶的舞....
「墓が呼んでいる」より 著者:橘外男
より、万障放棄して六月九日朝九時、特急つばめで東京駅を発つ。妻の注意によって、途
中京都で降りて、名香|幽蘭香を用意する。下の関山陽ホテルで水の尾村助役牧田耕三郎....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
造るまでに急速な生長を示しました。機械は休みなく動き、その販路を東京のみならず、
中京にも京阪にもまた遠く海外にも拡げました。 しかしこれらの大きな機業地で、盛....
「雨の宿」より 著者:岩本素白
そかに見当をつけたことのある静かな佳い場所であった。然し実際私の落ちついたのは、
中京も淋しい位静かな町筋の、暗く奥深い呉服屋や、古い扇屋、袋物みせ、さては何を商....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
らか憂いもかろく原稿紙に向えようかと思っている。 もひとつ言いたいのは、昨今、
中京方面にばかりつい気をとられているが、ほとんど同程度の颱風被災者がまだあった。....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
った。 けれど、翌日の五月三十日の名古屋は予想外な好天気にめぐまれ、朝日主催の
中京各流の茶道大会は、鶴舞公園の公会堂がきれいな人々で溢れるほどな盛況だった。 ....