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中元
「中元〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
中元の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「妖婆」より 著者:芥川竜之介
遠しいの、待遠しくないのじゃありません。算盤《そろばん》を弾く。帳合いを手伝う。
中元の進物の差図《さしず》をする。――その合間には、じれったそうな顔をして、帳場....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ぶぎょう》さまのお手元金だよ。これまでのてがら金だといって、きのう五十両ばかりお
中元にくだすったのでね、おれのてがらはおめえのてがらなんだから、半分そっちへおす....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
二百も続いたというのですから、お察しください。 それでも達者で生きている者は、
中元の礼を見合わせるわけにも行きません。わたくしの子分の多吉という奴が、七月十一....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ない。半七は暗い心持で、夏の日盛りの町をあるいて帰った。 七月になって、鶴吉が
中元の礼に来た。半七はその顔を見るのが辛かった。 「まったくお前さんにゃあ申し訳....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
船頭は大きい声で呼ぶと、小児の手を曳いたおかみさんや、寺参りらしいお婆さんや、
中元の砂糖袋をさげた小僧や、五、六人の男女がおくれ馳せにどやどやと駈け付けて来て....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
て、私は少々赤面したような気味で、あわてて挨拶した。老人は京橋辺の知人のところへ
中元の礼に行った帰り路だとか云うことで、ふた言三言立ち話をして別れた。 それか....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
ところはやや寒い。板も冷える。直接土に接しているためであろう。 子供たちは待避
中元気であり、わあわあさわいでいて、心配していた私は安心した。大家さんの長男の亮....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
れより愈々遁げ退きて又都へ入りて忍びておはするに会昌六年に武宗崩じ給ひぬ。翌年大
中元年、宣宗位に即き給ひて、仏法滅すこと止みぬれば、思の如く仏法習ひ給ひて、十年....
「父」より 著者:金子ふみ子
。 私立学校へ通い始めて間もなく盆が来た。おっ師匠さんは子どもに、白砂糖を二斤
中元に持って来いといいつけた。おそらくこれがおっ師匠さんの受ける唯一の報酬だった....
「めでたき風景」より 著者:小出楢重
では片づけられない。廻しをとる位の事は全くの普通事だといえばさようらしくもある。
中元御祝儀と暑中見舞と、相変りませず御愛顧を願わなければ全く以て、食って行けない....
「油絵新技法」より 著者:小出楢重
くそれまでの話である。廻しをとる位の事は全くの普通事だと云えば左様らしくもある。
中元御祝儀と暑中見舞と、相変りませず御愛顧を願わなければ全く以て、食って行けない....
「大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
は次第に冬へ去って行く太陽が淋しき地上への贈物であるかも知れない。われわれはその
中元御祝儀を遠慮なく頂戴して、そのお汁を充分に吸いましょう。 ) 新秋雑想....
「霊訓」より 著者:浅野和三郎
、物理的心霊現象は全然止んだが、しかし自動書記現象は、その最後までつづいた。その
中元来あまり健康でなかった彼の体力は、数回のインフルエンザの為めに、回復し難き迄....
「戯作者」より 著者:国枝史郎
真中へぽつねんと坐り、馬琴は暫らく待っていたが、一九は容易に帰宅しない。 その
中元旦の日が暮れて、燈火が家毎に燈るようになった。その時ようやく門口が開き、一九....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
せる蒙り、永徳三年(弘和三年)に一応完成した。がまた錯乱を修正して翌至徳元年(元
中元年)十二月に奏覧ということになった。かくて最後の完成は至徳元年であるけれども....