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中国
「中国〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
中国の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
中にある事を知っていたから、まず文字《もじ》が関《せき》の瀬戸《せと》を渡って、
中国街道《ちゅうごくかいどう》をはるばると広島の城下まで上って行った。が、そこに....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
母、兄弟、妻子までも利益のために犠牲としたのである。戦国時代の日本武将の謀略は、
中国人も西洋人も三舎を避けるものがあった。日本民族はどの途にかけても相当のもので....
「「吶喊」原序」より 著者:井上紅梅
のに引ずられて、いつも喜んで見ていた。ところが一度画面の上に久し振りでたくさんの
中国人に出逢った。一人は真中に縛られ、大勢の者が左右に立っていた。いずれもガッチ....
「端午節」より 著者:井上紅梅
れ難く、その大半は線香花火のように消滅したではないか。全く大差無しである。ただし
中国将来の考慮すべき事はすなわちここにあるので……」 講堂の中には二十名余りの....
「頭髪の故事」より 著者:井上紅梅
ても人から笑われることがない。 老兄、君は知っているだろうが、髪の毛はわれわれ
中国人の宝であり、かつ敵である。昔から今までどれほど多くの人が、この頂きのために....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
軍の東下に引続き奥羽の戦争に付き横浜外人中に一方ならぬ恐惶を起したるその次第は、
中国辺にいかなる騒乱あるも、ただ農作を妨ぐるのみにして、米の収穫如何は貿易上に関....
「余齢初旅」より 著者:上村松園
半すぎであったとおもう。京都駅から汽車にのって出発した。汽車はこれから大阪をすぎ
中国筋をまっしぐらに走りつづけて、関門海峡をへて、長崎にゆき、ここから船にのった....
「遠野の奇聞」より 著者:泉鏡花
近ごろ近ごろ、おもしろき書を読みたり。柳田国男氏の著、遠野物語なり。再読三読、なお飽くことを知らず。この書は、陸
中国|上閉伊郡に遠野郷とて、山深き幽僻地の、伝説異聞怪談を、土地の人の談話したる....
「三十年前の島田沼南」より 著者:内田魯庵
が、手紙で知らして来た容子に由ると、その後も続いて沼南の世話になっていたらしく、
中国辺の新聞記者となったのも沼南の口入なら、最後に脚気か何かの病気でドコかの病院....
「西航日録」より 著者:井上円了
て往時を思い感慨きわまりなく、英国の軍艦や露国の兵が西より来たり、東より来たる。
中国大陸の風雲は日々に急を告げようとし、楊子江はいつになったら晴れやかな空を見せ....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
の前の大きな家は林や丘を圧するかのごとく、見渡すうちに客を送迎する舟が去来する。
中国の旅客よ、岳陽楼の風景だけを誇らしげにいうなかれ、ありとあらゆる天然の景色は....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
一九五九(昭和三十四)年三月十二日 社会党第二次訪中使節団々長として
中国の友人の皆さん、私はただいまご紹介にあずかりました日本社会党訪中使節団の団長....
「こがらし」より 著者:岩本素白
経て、津の国の昆陽寺から黄金の交って居る釣鐘を盗み出す群盗の話を読んだ。話は昔の
中国の偸盗説話に繋るような狡智をきわめた手段を用いたもので、それは、黒風吹きすさ....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
が全く騒々しい。日本女の仲居は二、三人いたが、ほかに日本人といえば私だけだった。
中国人はみんな弁髪で、生活は彼らと同じようにさせられた。 私の仕事は出前持ちに....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
進んだのは確かに壮観であり我らの見解に修正の傾向を生じつつあったのである。しかも
中国の統一はむしろ日本の圧迫がその国民精神を振起せしめた点にある。支那事変に於て....