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「中弁〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

中弁の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
仮装人物」より 著者:徳田秋声
う。今五百円のペトロンがつきかけてるそうですが、多分|蹴るでしょう。」 帰る途中弁護士は話していた。 庸三はあッとなったものだが、材料払底の折だったので、健....
源氏物語」より 著者:紫式部
いし》の人々や、子息たちなどがおおぜい出て来た。頭中将《とうのちゅうじょう》、左中弁《さちゅうべん》またそのほかの公達《きんだち》もいっしょに来たのである。 「....
源氏物語」より 著者:紫式部
ころでございますが、女御さん方の実家の人たちがそれぞれ行きます中に、四位少将、右中弁などが御前から下がって来てついて行きますのが弘徽殿の実家の方々だと見受けまし....
源氏物語」より 著者:紫式部
かせ》が選んだ。短夜のころであったから、夜がすっかり明けてから詩は講ぜられた。左中弁《さちゅうべん》が講師の役をしたのである。きれいな男の左中弁が重々しい神さび....
源氏物語」より 著者:紫式部
侍の事件を思い出しておいでになった。 この中の最も重立った一人の乳母の兄で、左中弁の某は六条院の恩顧を受けて、親しくお出入りしていたが、一方ではこの姫宮を尊敬....
源氏物語」より 著者:紫式部
道の宮へ時おりの敬意を表しにまいることを怠らないのであった。この家の左近中将、右中弁、侍従なども大臣の供をして出て行った。大臣の率いて行く人数にも勢力の強大さが....
源氏物語」より 著者:紫式部
の女は柏木の大納言の乳母の子であって、父はここの女王たちの母夫人の母方の叔父の左中弁で、亡くなった人だったのである。長い間|田舎に行っていて、宮の夫人もお亡くな....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
字二年春正月三日、孝謙天皇、王臣等を召して玉箒を賜い肆宴をきこしめした。その時右中弁大伴家持の作った歌である。正月三日(丙子)は即ち初子の日に当ったから「初子の....
法然行伝」より 著者:中里介山
よりてこれをおこなえ。 承元元年十二月八日符到奉行 左大史小槻宿禰 権右中弁藤原朝臣 勅免があったとはいえ、まだ都のうちに出入をすることは赦《ゆる》さ....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
、その経過を客観的に概略だけ記して置こう。 建仁元年(一二〇一)十一月三日に左中弁長房朝臣の奉書を以て、上古以後の和歌を撰進するように、和歌所の寄人たちに仰せ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
取には大舎人の信連がひかえ、廊の立礼には、葉室ノ前大納言|長隆、頭ノ中将宗兼、右中弁正経などのすがたが見えた。宮は、黙然お通りあって、そのまままッすぐに殿上のほ....