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「中村座〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

中村座の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
開化の良人」より 著者:芥川竜之介
明けようと思い立ったのです。 「と云うのはある日の事、私はやはり友人のドクトルと中村座《なかむらざ》を見物した帰り途に、たしか珍竹林《ちんちくりん》主人とか号し....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
吾の芝居は三代目瀬川|如皐《じょこう》の作で、嘉永四年、猿若町《さるわかまち》の中村座の八月興行で、外題《げだい》は『東山桜荘子《ひがしやまさくらそうし》』とい....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
として根を張り、あとから移転していった芝居――山之宿の市村座、鳥越《とりこえ》の中村座など、激しい時代転歩にサッサと押流され、昔日《せきじつ》の夢のあとは失《な....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
自動的には余りせなかった。それよりも芝居を見るのが何よりも楽みで猿若の三ヶ町即ち中村座、市村屋、守田座の変り目変り目には必ず行った。尤も書生の懐だから奢ったこと....
亡び行く江戸趣味」より 著者:淡島寒月
いうので造っていた。当時の五代目菊五郎の人気などは実に素晴らしいもので、一丁目の中村座を越えてわざわざ市村座へ通う人も少くなかった。 ◇ 前述も....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
》で。」 清さんの兄貴は、川崎屋権十郎の古い男衆だった。 こういう人たちは、中村座が閉場《あけ》ば中村座の何屋へ、新富座ならば何処《どこ》と、三、四軒の芝居....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
一年ごろ、東京の芝居は、大劇場に、京橋区|新富《しんとみ》町の新富座、浅草鳥越の中村座、浅草馬道の市村座。歌舞伎座が廿二年に出来るまでは、そのほかに中《ちゅう》....
幽霊の衣裳」より 著者:田中貢太郎
じて七月の中旬から九月まで上演を続けた。 其の後|天保になって菊五郎は、堺町の中村座の夏演戯で亦『四谷怪談』をやる事になり、新機軸を出すつもりで、幽霊の衣裳に....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
来の当たり狂言で、六代目も幾たびか舞台の上に復活している。書きおろしは明治六年、中村座の六月興行で、名題は「梅雨小袖昔八丈」という。原作は四幕十一場であるが、大....
京鹿子娘道成寺」より 著者:酒井嘉七
す。 |○| この、娘道成寺と申す所作事は、宝暦年間に、江戸の中村座で、中村富十郎が演じたものだそうでございまして、富十郎一代を通じての、一番....
おせん」より 著者:邦枝完二
いを、知る人とては一人もなかった。 名人由斎に、心の内を打ちあけて、三|年前に中村座を見た、八百|屋お七の舞台姿をそのままの、生人形に頼み込んだ半年前から、お....
江戸の化物」より 著者:岡本綺堂
その見当をつけ、小柄を抜いて傘越しにかわうそを刺し殺してしまったということです。中村座の役者で、市川ちょび助という宙返りの名人がありました。やはり雨の降る晩でし....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
。遠く明治七年の河原崎座における「新舞台巌楠」の楠正成にはじまり、更に明治九年の中村座における「牡丹平家譚」の重盛に至って、いよいよその熱を高めたと伝えられてい....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
。余は奥村政信が堺町《さかいちょう》の町木戸《まちきど》より片側《かたかわ》には中村座片側には人形芝居|辰松座《たつまつざ》の櫓《やぐら》を見せ、両側の茶屋|香....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
らる。 天保以後、明治の初年に至るまで、三座はみな浅草の猿若町に封じ籠められ、中村座は一丁目、市村座は二丁目、守田座は三丁目にあり。江戸が東京と改まりしに就て....