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「中村武羅夫〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

中村武羅夫の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
眉山」より 著者:太宰治
眉山は、彼を中村|武羅夫《むらお》氏だとばかり思い込んでいた。 行ってみると、中村武羅夫先生はまだ来ていなくて、林先生の橋田新一郎氏が土間のテーブルで、ひとり....
大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
俗小説、又は、新聞小説と称しているが、この区別は甚だ曖昧なのである。 例えば、中村武羅夫、加藤武雄は、通俗小説家であるが、国枝史郎が現代物を書いても、彼は大衆....
冬を越す蕾」より 著者:宮本百合子
まざまな意味で動的な人の心持の推移がそこに反映している実例として、それを感じた。中村武羅夫氏や岡田三郎氏によって、いわゆる転向作家に対するボイコットが宣伝された....
昭和の十四年間」より 著者:宮本百合子
として解体していたが、昭和五年に出来た十三人倶楽部による「新興芸術派」の運動は、中村武羅夫の「花園を荒す者は誰だ」という論文を骨子として、反プロレタリア文学の鮮....
婦人と文学」より 著者:宮本百合子
して擡頭し、数歩をすすめて来たプロレタリア文学運動の萌芽に対して、武者小路実篤、中村武羅夫、生田長江などという作家は、明瞭に反対の立場を示した。これらの人々の云....
生活においての統一」より 著者:宮本百合子
に民主的文学が擡頭して、文学の社会性について発展的な一歩を示したとき、例えば作家中村武羅夫は、有名であった「花園を荒す者は誰ぞ」という反駁の論文で、熱烈に文学の....
作家の経験」より 著者:宮本百合子
文学の運動がはじまったころ、文学の純粋性を固守し「花園を荒すものは誰ぞ」と書いた中村武羅夫や、文学の芸術性は独自のものだと社会性ときりはなして主張した菊池寛が、....
婦人作家」より 著者:宮本百合子
作品は表現派や未来派の手法によって試みられたが、このグループはほどなく消滅した。中村武羅夫の「誰だ? 花園を荒す者は!」というプロレタリア文学排撃の論文は、文学....
ニッポン三週間」より 著者:宮本百合子
――これをただ、仲間の泥仕合という風に嗤うのは間違いだ。まして、読んだでしょう?中村武羅夫が朝日で云ってること。つまり、初め既成文壇の勢力がつよかったからその敵....
あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」より 著者:宮本百合子
々で常識の一部となった。しかし、この運動は決して摩擦なしには発展せず、日本では、中村武羅夫、菊池寛その他の人々が文学の芸術性という点から、どこまでも無産派の文学....
年譜」より 著者:宮本百合子
何事もなさなかった。一九三〇年代のはじまりに「文学の純芸術性」を力説した菊池寛、中村武羅夫等の人々が、この時期に率先して文化の軍事的目的のために奴隷化をあっせん....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
らく一遍書き終って随分手を入れなければなりますまい。しかも、室生犀星、佐藤春夫、中村武羅夫というような人々は、私の小説を見ると持病のゼン息が起ったり、はきそうに....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
つれて、反動として青年に純粋なものを求める人々の感情をこの頃深く観察します。丁度中村武羅夫氏の純文学論のようなもので、自分が書くものはああいうもののために、芸術....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
ふかい見ものです。自分の心持を文学性という表現で通用させて。芥川賞の中里恒子は、中村武羅夫あたりが、教養の高さをしきりに云々している。武羅夫の通俗作家的立場での....
昭和四年の文壇の概観」より 著者:平林初之輔
体において変化を見ない。依然として菊池寛であり、三上|於莵吉《おときち》であり、中村武羅夫であり、加藤武雄である。だが、これらの第一線の作家が、従来主として、新....