中村鴈治郎[語句情報] » 中村鴈治郎

「中村鴈治郎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

中村鴈治郎の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大阪を歩く」より 著者:直木三十五
速が文化の遅速である。 私は、私の母の如く年に一度しか、芝居へ行かぬ女でさえ、中村鴈治郎を、自分の鴈治郎のように語るのを、知っていた。鴈治郎の声が、何うあろう....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
や》待合《まちあい》の格式、遊ぶ土地、すべての附合の範囲と広さにおよぼしている。中村鴈治郎《なかむらがんじろう》が東都の人気を掴得《かくとく》しようとすると歌舞....
役者の一生」より 著者:折口信夫
り、又する機会もなかったのであろう。大変長い源之助で、丁度大阪の鴈治郎が若い時の中村鴈治郎から始って、死ぬまで鴈治郎で通したのと同じである。尤、鴈治郎は歌右衛門....
大阪の憂鬱」より 著者:織田作之助
跡にも、二鶴やその他の昔なつかしい料理店が復活した。千日前の歌舞伎座の横丁――昔中村鴈治郎が芝居への通い路にしていたとかで鴈治郎横丁と呼ばれている路地も、以前よ....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
歌舞伎座は桜痴居士改作の「実録忠臣蔵」で、中幕には「太功記」十段目が上場された。中村鴈治郎はこのとき初めて上京して、中幕の十次郎を勤め、光秀は団十郎、皐月は寿美....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
目中村翫雀、大阪に死す、四十一歳。大阪の俳優なれど、東京にても評判好かりき。初代中村鴈治郎の父なり。 ○四月、新富座にて「天衣紛上野初花」を上演。河竹新七がその....