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「中江〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

中江の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
虚構の春」より 著者:太宰治
、おふくろだって貴方だってそうです。お便り下さい。それよりお会いしたい。大ウソ。中江種一。太宰さん。」 月日。 「拝啓。その後、失礼して居ります。先週の火曜日....
近時政論考」より 著者:陸羯南
を糾合し、たとえ暫時なりとも『東洋自由新聞』を発行せしこと、および今の兆民居士、中江篤介氏が帷を下して徒を集め、故田中耕造氏らとともに仏国の自由主義を講述しもっ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
れ、民約論のたぐいまで紹介せられて、福沢諭吉、板垣退助、植木|枝盛、馬場|辰猪、中江|篤介らの人たちが思い思いに、あるいは文明の急務を説き、あるいは民権の思想を....
足迹」より 著者:徳田秋声
、女中と一緒に買物がてらお庄から金を渡されて出て行くまでには、大分暇がかかった。中江という医学生のところへよく遊びに来る、お増という女が二階から降りて来ると、二....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
々左の十数氏に過ぎない。(順序不同) 牟田口利彦(旧姓梅津)、野中到、隈本有尚、中江三次、宇佐元緒、松本健次郎、加野宗三郎、佐藤文次郎、堺仙吉、一田彦次、藤原宏....
文士としての兆民先生」より 著者:幸徳秋水
生其人に至っては、実に明治当代の最も偉大なるものと言わねばならぬ。 先生、姓は中江、名は篤介、兆民は其号、弘化四年土佐高知に生れ、明治三十五年、五十五歳を以て....
ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
の関係以上に深い尊敬と親しみをもっていた。校長は修身を受け持っているので、生徒は中江藤樹の称をたてまつった。校長の口ぐせは実践躬行の四字であった、かれの訓話には....
日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
ョア唯物論は、かつて、啓蒙哲学としては福沢諭吉氏によって、フランス唯物論としては中江兆民氏によって、ドイツ唯物論としては加藤弘之氏によって代表されたが、第一のも....
生活と一枚の宗教」より 著者:倉田百三
方が宗教的なやり方でありまして、そのときまですこしも知らなかったのでありますが、中江藤樹などのいわれた儒教というものはほんとうはそういうものであったのであります....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
れども一方、基督教界の人々には一個の英雄として尊敬され、内村先生なども氏を明治の中江藤樹、信濃聖人とまで賞讃されたものであった。 私は井口君がその一生を通じて....
瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
帰朝し、艦の浦賀に達するや、予が家の老僕迎に来りし時、先生|老僕に向い、吾輩留守中江戸において何か珍事はなきやと。老僕額を蹙め、有り有り、大変が有りたりという。....
明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
ず西周《にしあまね》を筆頭とし、西村茂樹、加藤弘之、外山正一《とやままさかず》、中江篤介などであった。しかして自分もその間において哲学、倫理学、心理学等に関する....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
』、『城南評論』、それに近松物、西鶴物、露伴物、紅葉物、高田早苗氏の『美辞学』、中江篤介訳の『維氏美学』、それらを乱読して東都の空にあこがれていた。そうしてある....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
郎によって東京に輸入されたということだけを註して置きたい。角藤に芝居を勧めたのは中江兆民居士である。居士はその当時、かの保安条例で東京を逐われて、しばらく大阪に....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
に茶菓、酒食を供するという。 かくのごとき風習は奥羽地方各地にあると見えて、陸中江刺郡黒石の蘇民祭もこれに似たものだとのことであった。『民族と歴史』第五巻第四....