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「中津〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

中津の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
恩讐の彼方に」より 著者:菊池寛
》を心から恥じ、七郷の人々合力の誠を尽くし、こぞって市九郎を援け始めた。その年、中津藩の郡奉行が巡視して、市九郎に対して、奇特の言葉を下した。近郷近在から、三十....
蘭学事始」より 著者:菊池寛
もさせなかった。 玄白は、毎度のことだったが、ちょっと嫌な気がした。 彼は、中津侯の医官である前野良沢の名は、かねてから知っていた。そして、その篤学の評判に....
武装せる市街」より 著者:黒島伝治
、も一人、額の禿げた大柄な顔が、一寸彼を見てほゝえみかけた。やはり日本人だった。中津である。 「君、どっかへ行くんかね?」 取り落して人波に踏みつぶされないよ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
年旧暦の三月に、恵那山脈の雪も溶けはじめるころになると、にわかに人の往来も多い。中津川の商人は奥筋(三留野、上松、福島から奈良井辺までをさす)への諸|勘定を兼ね....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
衛門の心配は、半蔵が親友の二人までも京都の方へ飛び出して行ったことであった。あの中津川本陣の景蔵や、新問屋|和泉屋の香蔵のあとを追って、もし半蔵が家出をするよう....
風流仏」より 著者:幸田露伴
ば花漬、アヽ是を見ればこそ浮世話も思いの種となって寝られざれ、明日は馬籠峠越えて中津川迄行かんとするに、能く休までは叶わじと行燈吹き消し意を静むるに、又しても其....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
の一の宮のほかにもう一ツ、ヒダの一の宮と伝えられている神様があるのです。下原村の中津原というところに郷社の八幡様があるが、ここは昔は水無神社のあったところだと伝....
大阪の可能性」より 著者:織田作之助
い。いや、京都の言葉が大阪の言葉より柔かく上品で、美しいということは、もう日本国中津津浦浦まで知れわたっている事実だ。同時に大阪の言葉がどぎつく、ねちこく、柄が....
雪代山女魚」より 著者:佐藤垢石
が戯れている。人ずれしない魚は、誰の鈎にもたやすく掛かる。 奥秩父の三峰川と、中津川にも近年まで渓流魚は数多かったが、近頃は職業漁師と都会人のために漁り尽くさ....
海豚と河豚」より 著者:佐藤垢石
今日ではそんな言葉に騙される人はあるまい。 瀬戸内海では下関方面で広島、九州の中津沖、徳山湾で漁れたもの。広島近くでは宮島、江田島、大阪近くでは播州の家島群島....
水の遍路」より 著者:佐藤垢石
ましかった。 武州の荒川は、長瀬の上流下流で幾度か鮎の友釣りを試みた。三峰川と中津川では山女魚釣りに谷を跋渉した。高麗川と名栗川へも行った。多摩川と奥多摩川、....
瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
初めて先生を知りしは安政六年、月日は忘れたり。先生が大阪より江戸に出で、鉄炮洲の中津藩邸に住われし始めの事にして、先生は廿五歳、予は廿九歳の時なり。先生|咸臨丸....
知々夫紀行」より 著者:幸田露伴
愛ずる癖ある叟にて、それよりそれと話の次に、平賀源内の明和年中大滝村の奥の方なる中津川にて鉱を採りし事なども語り出でたり。鳩渓の秩父にて山を開かんと企てしことは....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
に紹介してみる。 越後の中魚沼郡と信濃の下高井郡とにわたって、信濃川の支流なる中津川の上流、苗場山の西方渓谷地方を秋山谷という。交通不便な極めての山間で、里人....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
峰山中、一番奥にある前鬼村の人々は、鬼の子孫だと云われていまして、紀伊粉河の北の中津川にも、その子孫と称する者が五家に分れているそうであります。また京都の東北の....