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中部地方
「中部地方〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
中部地方の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
セスの言い草だった。 公使の一行が進んで行ったところは、広い淀川の流域から畿内
中部地方の高地へと向かったところにあるが、あいにくと曇った日で、遠い山地の方を望....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
の時勢に向かって、欧米教育事業の視察の旅から帰って来た尾州藩出身の田中|不二麿が
中部地方最初の女学校を近く名古屋に打ち建てるとのうわさもある。一方には文明開化の....
「大宇宙遠征隊」より 著者:海野十三
そこへ、無電員が、受信紙を持って来た。 “第四斥候隊報告。わが隊は只今火星の
中部地方に安着せり。指揮を待つ……” 「よし! 本艇は目下火星へ向って急行中だと....
「空襲警報」より 著者:海野十三
「○○海を越えてきました敵の超重爆四機が、攻撃いたしましたのは、大体に於て、本州
中部地方の北半分の主要都市でございました。焼夷弾が十トン毒瓦斯弾が四トン、破甲地....
「静岡地震被害見学記」より 著者:寺田寅彦
静岡地震被害見学記 寺田寅彦 昭和十年七月十一日午後五時二十五分頃、本州
中部地方関東地方から近畿地方東半部へかけてかなりな地震が感ぜられた。静岡の南東|....
「家なき子」より 著者:楠山正雄
かくわたしが子どもの時代を過ごした村は、シャヴァノンという村で、それはフランスの
中部地方でもいちばんびんぼうな村の一つであった。 なにしろ土地がいたってやせて....
「パラティーノ」より 著者:野上豊一郎
が事の始まりで、それから付近の丘陵の併合となった。サビーニ族というのはイタリアの
中部地方に古代から定住していた種族で、それが南下してクィリナーレ、ヴィミナーレ等....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
ほど河童の神通力は絶大で、九州の伝説では孫悟空ぐらいの威力があるが、中国、近畿、
中部地方と北上するにしたがって猪八戒以下になり、関東あたりから急速に下落して、奥....
「人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
一の風習を保持している蒙古人の子孫が現在住んでいる広大な地域は、その中にアジアの
中部地方のほとんど全部を占め、そして極めて良好温和な気候の利益を有っている。土壌....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
田村麿の遠征は大成功でありまして、後世征夷の神として崇められるくらい、今の岩手県
中部地方に頑張っておった蝦夷もこれには恐れ入ってしまいました。そこで彼は胆沢城に....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
鬼の舌などという楕円形のもの、編笠焼きと謂って笠の形をした焼餅を作る日もあった。
中部地方では二月|涅槃の日にヤセウマという長い団子をこしらえ、または同じ月にオネ....
「建国の事情と万世一系の思想」より 著者:津田左右吉
れる。それは即ちほぼ今のカントウ(関東)からシナノ(信濃)を経てエチゴ(越後)の
中部地方に至るまでである。 皇室の御祖先を君主として戴いていたヤマトの国家が日....
「こども風土記」より 著者:柳田国男
行事のようになっているが、それでもまだ少年がこれを自分の事業のように心得ている。
中部地方から関東では一般に、大か小か一つの小屋を掛けて、その中には神壇を設け燈明....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
て初の丑の日、それから西南の島々にかけても、同じ日に山の神の祭をするものがある。
中部地方でも岐阜県は一般に、霜月七日かまたは寅の日を以て、山の神の出入りの日とし....
「母の手毬歌」より 著者:柳田国男
いっているから、あるいはかえってこちらがさきかも知れない。近畿地方の一部、または
中部地方のそちこちに、飯時をケドキという言葉がある。岐阜県の南のほうなどでは、こ....