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「中院〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

中院の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
武州喜多院」より 著者:中里介山
たが、然し今日は時間を惜しむからわざわざという気にはならない、そのままここを出て中院の方へ向った。 喜多院はもと北院と書いたもので、ここには北院、中院、南院の....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
徳院所蔵の『日本紀』の珍本および『園太暦』等がある。中にも『園太暦』のごときは、中院入道内府がかつて百二十三巻十四帙を千疋で買得して所持し来ったところ、同入道の....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
。重喜のすぐ先代をみても、一女は花山院|大納言の正室に、また鷹司家、醍醐大納言、中院中将などとも浅からぬ姻戚の仲であった。 そこへ宝暦の気運が芽ざし、尊王皇学....
私本太平記」より 著者:吉川英治
みするも無益だ。自分は正成の弟、楠木正季」 つづいて、他の二人も、 「拙者は、中院ノ雑掌俊秀」 「てまえは、この辺の郷士|天見ノ五郎常政です」 あからさまに....
私本太平記」より 著者:吉川英治
いと、奥まで訪れがとどかない気がするものか、 「天見ノ五郎でおざる」 「まった、中院ノ雑掌俊秀ですが、ご不在かの」 二人はどなっていた。 ここは金剛山の西の....
私本太平記」より 著者:吉川英治
越えてゆかれた所である。むずかしくはあるまい、との御諚。 四条隆資、二条為明、中院ノ貞平らは、それに従え。 そして、後醍醐ご自身は、ここより車を南に回し、奈....
私本太平記」より 著者:吉川英治
に代って、今朝のことを、そちから全軍の者に話してくれまいか」 命じられたのは、中院ノ雑掌俊秀である。 「かしこまりました」 正成の手から、うやうやしく折奉書....
私本太平記」より 著者:吉川英治
その前陣をうけたまわり、二番陣は殿ノ法印、三番には、四条|隆資の五百騎、四番には中院ノ定平が八百余騎をひきい、宮の親衛隊には特に屈強な精兵五百人が、すべて長やか....
私本太平記」より 著者:吉川英治
月。 都からは、ゆゆしい勅使の下向と聞えてきた。やがて、詔を奉じてきた御使は、中院ノ源中将|具光で、こういう朝命の降しであった。 「東国の逆乱もすみやかな静謐....
私本太平記」より 著者:吉川英治
」 と、みかどは、公卿へむかって、用意の物をと、うながされた。 二条為次と、中院ノ定平とが、階を降りて、正成のまえに賜酒の三方をすえ、また一ト振りの太刀を賜....
私本太平記」より 著者:吉川英治
って、朝廷もあとから急に、 廃朝ノ令 を出した。 まことに醜態だった、と「中院記」や「玉英記|抄」も書いている。北朝の廷臣に人材のなかったことが、この一例....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
無難、錐翁など、その系流から出ている。 在家の弟子には、岡本喜広、石河昌勝、中院通村卿、狩野探幽などがあり、なおずっと下っては、白隠を出し、白隠下の禅風みな....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
村の茶店前には、観光バスや修学旅行の学生が群れをなしている。 「楠木氏の菩提寺の中院は、あの辺です」と、永島住職が指さす。水は見えないが、崖下は金剛山の西麓から....
魚紋」より 著者:吉川英治
可久という名も、大名のお部屋様だったなどという事もみんな嘘で、ほんとは、日光山の中院の僧の隠し子で、土地の宿屋の娘という事になっていたが、性来の毒婦型の女で、家....