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「丹後〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

丹後の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
偸盗」より 著者:芥川竜之介
の身にされた。 それから、十年余りのち、尼になって、子供を養育していた阿濃は、丹後守何某《たんごのかみなにがし》の随身に、驍勇《きょうゆう》の名の高い男の通る....
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
。 そのことがあってから、十日ばかりも経った頃だった。忠直卿は、老家老の小山|丹後《たんご》と碁を囲んでいた。老人と忠直卿とは、相碁であった。が、二、三年来、....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
逃げた奴はみんな無宿者《むしゅくもの》で、京都無宿の藤吉、二本松無宿の惣吉、丹後村無宿の兼吉、川下村無宿の松之助、本石町《ほんごくちょう》無宿の金蔵、矢場村....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
いたのだが、元就が攻略した尼子方の備後国江田の旗返城を陶が毛利に預けないで、江良丹後守に預けた。これ等が元就が陶に不快を感じた原因である。 そして機を見るに敏....
真田幸村」より 著者:菊池寛
辺に、水死体となって上った。 また、同じ刻限、天王寺表の嚮導、石川伊豆守、宮本丹後守等三百余人が平野の南門に着した。見ると、そこの陣屋の門が、ぴったり閉めてあ....
浦島太郎」より 著者:楠山正雄
一 むかし、むかし、丹後の国|水の江の浦に、浦島太郎というりょうしがありました。 浦島太郎は、毎日....
水の女」より 著者:折口信夫
注意すべき神である。大和のみつはのめ・宗像は早く習合せられた別神であったらしい。丹後風土記逸文の「比沼山」のこと。ひちの郷の一統なのであった。 第一章に言うた....
首頂戴」より 著者:国枝史郎
部屋内静かである。 と、俄に声をひそめ、総髪の武士いい出した。 「大坂城代土岐丹後守、東町奉行井上駿河守、西町奉行稲垣淡路守、この三人を抑えつけた今日、我々の....
間人考」より 著者:喜田貞吉
があって、刊本には「万無土」と訓じ、高山寺本には「波之布止」と訓ませている。また丹後国竹野郡にも同じ名の郷があって、刊本には右側にハシウト、左側にマムトを傍訓し....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
、良経もその間に内大臣になり、慈円も天台座主に上ったが、兼実は剛毅で、後白河院の丹後局という女傑の反感を招いたため、ことごとに意見が封じられ、関白を止めたときは....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
かろう。ついでに久しくお目にかからぬ紫水生深沢多市君をもお訪ねしたい。同君は昨年丹後熊野郡長を辞してこの仙北の地に帰臥せられ、お好きの道とて郷里の故事を調査せら....
エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
多の水上」たる京都へ上って、従来の振合いを間合わさしめるという程の有様であった。丹後舞鶴領行永村ほか十二箇村のエタの如きは、延享元年に至って始めて全体を通じての....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
どという地名は方々にありまして、その住民は多くは一種の賤民扱いにされており、現に丹後では今も算所という特殊部落があります。しかし他の産所では、住民が他に移って、....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
は、やはりエタの仲間へ流れ込んで、所謂エタ源流の一つをなしていることと思う。現に丹後には、算所と称する特殊部落民もある。また東寺の散所法師は平安京九条の地、信濃....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
められていたと見えて、縁談となるといつも疎外せられる例であった。そしてその中には丹後加悦町の「算所」の如く、今になお世間から区別せられるの不運に陥っているのもあ....