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主知
「主知〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
主知の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「善の研究」より 著者:西田幾多郎
時にはまだ主客の対立なく、知情意の分離なく、単に独立自全の純活動あるのみである。
主知説の心理学者は、感覚および観念を以て精神現象の要素となし、凡《すべ》ての精神....
「鰊漁場」より 著者:島木健作
えないでかえって山本の方から尋ねた。 「おめえ、沼田村だって言ったな。大山って地
主知ってるべ。」 「ああ俺んとこの隣村の地所ア、まるっきり大山のもんだ。」 「こ....
「創作家の態度」より 著者:夏目漱石
観的とも申されましょう。または番頭の態度が非我を明らめようとする態度であるから、
主知主義と云って善《よ》かろうと思いますし、晩酌の態度が、我に感ずる態度であるか....
「デカルト哲学について」より 著者:西田幾多郎
識も、往々|爾《しか》解せられる。しかし爾考えられるならば、スピノザ哲学も数学的
主知主義に堕するのほかない。而《しか》して今日の無矛盾性の数学は、果して当時考え....
「イデオロギーの論理学」より 著者:戸坂潤
生の仕方として、思い浮べてはならない。実際人々は単に意志的であることを、又は単に
主知的でないことをさえ、軽々しく実践的と考えはしないであろうか。吾々の実践概念は....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
的に代表するから、なのである。――だがそう云うことは何も、或る人々の恐れるような
主知主義を意味しない。
主知主義は結局合理主義に帰着するのだが、処が吾々は現に、論....
「認識論とは何か」より 著者:戸坂潤
的・道徳的・等々・のものを蔽うならば、それは貧弱な形の合理主義であり、ひからびた
主知主義であり、野暮ったい科学主義であると云われる。その通りである。もし認識がそ....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
)、もう飽き飽きしたから云うのは止そう。生の哲学と云っても色々あるわけで、同じく
主知主義の反対と云っても生物学的なものもあれば(ニーチェやベルグソン)歴史的なも....
「辞典」より 著者:戸坂潤
意識は、知的なものと考えられる場合と意志的なものと考えられる場合とがある。前者は
主知主義(Intellektualismus)の観念論であり、後者は主意主義(V....
「『新訳源氏物語』初版の序」より 著者:上田敏
声、松の風に響き」わたる磯山陰の景色が思い出され、「隠れなき御匂ひぞ風に従ひて、
主知らぬかと驚く寝覚の家々ぞありける」と記された薫大将の美、「扇ならで、これにて....
「学生と教養」より 著者:倉田百三
のものの事実性が、知識の確実性の根拠であるとした。カントのアプリオリの如き不毛の
主知的観念に知識の妥当性があるのではない。具体的、直接なる体験は「生」の進展して....
「リズムの構造」より 著者:中井正一
的構造を存在の内面的構造として考える考えかたと歩を同じくしている。ルネッサンス的
主知性がそこに長く尾を引いている。デカルト、ライプニッツ、スピノザを貫く数学性よ....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
声はなおつづいた。 船が銚子へ着いたのは、その翌日のことであった。 「
主知らずの別荘」の別荘番 「オイオイ若いの。オイ若いの」 ※かくばかり経高く見ゆ....
「郷愁の詩人 与謝蕪村」より 著者:萩原朔太郎
、芭蕉は主観的の俳人であり、蕪村は客観的の俳人である。 「印象的」「技巧的」「
主知的」「絵画的」ということは、すべて客観主義的芸術の特色である。それ故に以上の....
「文芸評論の方法について」より 著者:戸坂潤
をかえている。而もまだホリゾントが決らぬらしい。も一人は阿部知二である。之は一旦
主知主義という交通整理に成功し、相当風格が定まったと見えたが、この頃又彼の印象は....