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久兵衛
「久兵衛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
久兵衛の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
に鍋釜類をあきなう問屋で、土地の旧家の釜浅に次ぐ身代であると云われていた。先代の
久兵衛は先年世を去って、当主の
久兵衛はまだ二十歳の若者である。
久兵衛のほかに、母....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
した。淀橋は長さ十間ほどの橋で、橋のそばに大きい穀物問屋がありまして、主人は代々
久兵衛と名乗っていたそうですが、その
久兵衛の店に精米用の大きい水車が仕掛けてあり....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
見ても知られる通り、土地でも旧い店で、身代もしっかりしているという噂です。主人の
久兵衛は五十ぐらい、女房のお大は後妻で三十四、五、先妻にも後妻にも子がないので、....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
ればならない。 その原本は少ない上に、価も廉くない。わたしは神田の三久(三河屋
久兵衛)という古本屋へしばしばひやかしに行ったが、貧乏書生の悲しさ、読みたい本を....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
家重代の長槍を把って居た。城中の兵、眺め見て大将と認め、斬って出る者が多い。小林
久兵衛前駆奮撃して重昌を護るが、丸石落ち来って指物の旗を裂き竿を折った。屈せず猶....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
かせたかった。染め物屋とは言いながら、理解のある義気に富んだ町人として、伊勢屋|
久兵衛の名は縫助もよく聞いて知っている。 「どうです、縫助さん、出て来たついでだ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
て来たのよ」 「そんなはずはないわ、わたしはここにいたんですもの」 落語の二人
久兵衛のような話で、二人ともに煙《けむ》に巻かれてしまいました。 あんまりおか....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
結局酒を飲ませるといって附近の料理屋の二階へ連れ込む。 同じ幕の二場。 桝屋
久兵衛という立派な料理屋の二階。八人の若侍が薄馬鹿の重太郎を囲んでしきりに嘲弄《....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、藤左は心得て、宿元からして急速に調べ上げた情報が次の如くです。 この地に長谷
久兵衛《はせきゅうべえ》という鬼代官がいる。名代《なだい》の農民いじめで、年貢不....
「雁」より 著者:田中貢太郎
考証は後日に譲って伊勢の話として云ってみよう。 伊勢の神戸宿の東隣になった村に
久兵衛と云う農夫があったが、不作のために僅かな年貢の金に詰ってしまった。しかたな....
「早耳三次捕物聞書」より 著者:林不忘
第二話 そのころ駒形に兼久《かねきゅう》という質屋があって、女房に死なれた
久兵衛という堅造《かたぞう》のおやじが、番頭と小僧を一人ずつ使って、かなり手広く....
「釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
人は一口に因業御殿《いんごうごてん》と呼んでいるが、これこそ因業家主が通名の大家
久兵衛が住宅《すまい》。此家《ここ》へお茶漬お艶が、近江屋を虐めた帰り毎夜のよう....
「読書雑感」より 著者:岡本綺堂
ねなければならない。その原本は少い上に、価も廉くない。わたしは神田の三久(三河屋
久兵衛)という古本屋へしばしばひやかしに行ったが、貧乏書生の悲しさ、読みたい本を....
「握り寿司の名人」より 著者:北大路魯山人
軒とあるであろう。この中で挙げるとなると、昔、名を成した新富その弟子の新富支店、
久兵衛、下って寿司仙くらいなものだろう。安田|靱彦さんが看板を書いてるのもあるが....
「山椒魚」より 著者:北大路魯山人
椒魚が偶然にも三匹ばかり手に入り、大いに美味く食べたことがある。その時は、すし屋
久兵衛が居合わせた。勉強熱心な彼は、 「是非私に庖丁を持たせてくれ」 と懇願す....