久安[語句情報] » 久安

「久安〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

久安の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
今の人たちの想像以上に寂しいものであったらしい。ことにこの戊辰《つちのえたつ》の久安《きゅうあん》四年には、禁裏に火の災《わざわ》いがあった。談山《たんざん》の....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
、止むを得ないことである。彼は時に幻覚を見た。また往々「変な声」を聞いた。 「永久安穏はあるまいぞよ!」その変な声はどこからともなくこう彼に呼び掛けた。気味の悪....
青春の息の痕」より 著者:倉田百三
はやはり心の静けさ、というものが、一番尊い幸福であるように思います。そして死は永久安息を私たちに与えてくれるのではありますまいか。 私は死のねがい、あこがれ、....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
忠実の荘園を管理しておったが、忠実その年貢の増徴を命じて多年悶着を重ねておった。久安四年に忠実がそのうち高鞍・大曾禰・本良・屋代・遊佐の五荘を左大臣頼長に譲った....
五重塔」より 著者:幸田露伴
なと祈り定むる柱立式、天星色星多願の玉女三神、貪狼巨門等北斗の七星を祭りて願う永久安護、順に柱の仮轄を三ッずつ打って脇司に打ち緊めさする十兵衛は、幾干の苦心もこ....
法然行伝」より 著者:中里介山
ということを示す為であった。 かくて勢至丸十五歳|近衛院《このえいん》の御宇、久安三年の二月十三日に山陽の道を踏み上って九重の都の巷《ちまた》に上り著いた時、....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
院から百首の題を賜わり、時の歌人が百首歌を詠んで奉った。成ったのは一つとんで次の久安年間で、初度のは残っていない。二度目のは久安六年の御百首で、院のほか作者は十....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
。よく耳に留めておけ、刀法は富田五郎左衛門が歿後の弟子、抜刀の技は、片山|伯耆守久安の秘奥をきわめて、自ら巌流とよぶ一流を工夫した小次郎であるぞ。――書物の講義....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
うが」 「富田五郎右衛門の富田流を習いました。また、郷里岩国の隠士で片山|伯耆守久安なる老人から、片山の居合を授けられ、かたがた、岩国川の畔に出ては、燕を斬って....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
を名乗る一族の名折れぞと、たいそうな肩持ちじゃ。わけて、吉川藩お客分片山|伯耆守久安様など、御門下衆を大勢連れ、小倉表まで立たれるそうな」 「ほ。試合を見に」 ....
濫僧考」より 著者:喜田貞吉
下略) とある。濫僧供の事は、「後二条関白記」寛治六年正月十九日の条、「人事記」久安五年十一月十日条などにも見えて、平安朝にはしばしば行われたものらしい。すなわ....