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「久留米絣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

久留米絣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
火の鳥」より 著者:太宰治
なやかに笑って、それから二人、気持よく泣いた。 十時に三木が、酔ってかえった。久留米絣《くるめがすり》に、白っぽいごわごわした袴《はかま》をはいて、明治維新の....
花燭」より 著者:太宰治
とである。私は、三十円の為替を拝むにちがいない。 私は、服装のことで思い悩む。久留米絣《くるめがすり》にセルの袴《はかま》が、私の理想である。かたぎの書生の服....
彼は昔の彼ならず」より 著者:太宰治
ひくい、細面の青年であった。肩から袖口にかけての折目がきちんと立っているま新しい久留米絣《くるめがすり》の袷《あわせ》を着ていたのである。たしかに青年に見えた。....
おしゃれ童子」より 著者:太宰治
しく緊張して、その風俗が、そっくり貴公子のように見えるだろうと思っていたのです。久留米絣《くるめがすり》に、白っぽい縞《しま》の、短い袴をはいて、それから長い靴....
パンドラの匣」より 著者:太宰治
うぼうから強迫されて、よし心得た、と気軽に合点々々していたが、おとといの朝早く、久留米絣のモンペイをはいて、つくし殿のあとを追っていそいそ出かけ、そうして午後の....
ヴィヨンの妻」より 著者:太宰治
くらいに考えていまして、大谷さんがはじめて私どもの店にあらわれた時にも、たしか、久留米絣の着流しに二重廻しを引っかけていた筈で、けれども、それは大谷さんだけでな....
姥捨」より 著者:太宰治
枝がかかえて、夫婦が珍らしく肩をならべての外出であった。夫にはマントがなかった。久留米絣の着物にハンチング、濃紺の絹の襟巻を首にむすんで、下駄だけは、白く新しか....
新樹の言葉」より 著者:太宰治
な奇妙な経験は、私としても、一生に二度とは、あるまい。 客は、ひとりであった。久留米絣を着ていた。女中に通され、黙って私のまえに坐って、ていねいな、永いお辞儀....
たずねびと」より 著者:太宰治
私は逢いたいのです。としの頃は、はたち前後。その時の服装は、白い半袖のシャツに、久留米絣のモンペをつけていました。 逢って、私は言いたいのです。一種のにくしみ....
桃のある風景」より 著者:岡本かの子
、彼に対して憐れに気の毒であった。 茶店の床几で鼠色羽二重の襦袢の襟をした粗い久留米絣の美少年の姿が、ちらりと動く。今日は彼は茶店の卓で酒を呑んでいるのだ。私....
地上」より 著者:島田清次郎
美しく分けた血色のよい、袷に角帯をしめた大きな商店の番頭らしい風采で、もう一人は久留米絣の袷を着た学生らしい背の高い瘠せた男であった。平一郎は彼らにもお辞儀をし....
淡紫裳」より 著者:佐藤垢石
落とし物が発見されたという通知に接したので行って見ると、そこに拾い主であるという久留米絣の袷を着た十五、六歳の少年が立っている。財布の中は現金もさることながら重....
兄妹」より 著者:岡本かの子
――二十余年前の春 兄は第一高等学校の制帽をかぶっていた。上質の久留米絣の羽織と着物がきちんと揃っていた。妹は紫矢絣の着物に、藤紫の被布を着てい....
瓜の涙」より 著者:泉鏡花
れた様子で、炎天の並木の下に憩んでいる学生がある。 まだ二十歳そこらであろう、久留米絣の、紺の濃く綺麗な処は初々しい。けれども、着がえのなさか、幾度も水を潜っ....
河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
置いて、おお! ここに居る。太神楽が、黒木綿の五紋の着流しで鳥打帽を被った男と、久留米絣にセルの袴を裾長に穿流した男と、頬杖を突合って休んだのを見ました。端初、....