久能山[語句情報] » 久能山

「久能山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

久能山の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
樗牛の事」より 著者:芥川竜之介
のは中学の四年生の時だった。春の休暇のある日、確《たしか》、静岡《しずおか》から久能山《くのうざん》へ行って、それからあすこへまわったかと思う。あいにくの吹き降....
」より 著者:夏目漱石
なら、興津《おきつ》あたりで泊って、清見寺《せいけんじ》や三保《みほ》の松原や、久能山《くのうざん》でも見ながら緩《ゆっ》くり遊んで行こうと云った。宗助は大いに....
婦系図」より 著者:泉鏡花
には、海水浴にいらしって下さい。 江尻も興津も直きそこだし、まだ知りませんが、久能山だの、竜華寺だの、名所があって、清見寺も、三保の松原も近いんですから、」 ....
縮図」より 著者:徳田秋声
車に乗ってしまったの。」 「それで……。」 「それから別に……。三保の松原とか、久能山だとか……あれ何ていうの樗牛という人のお墓のある処……龍華寺? 方々見せて....
丹下左膳」より 著者:林不忘
らせたがよいぞ」 三 元和《げんな》二年、家康が駿府《すんぷ》に死ぬと、はじめ久能山《くのうざん》に葬ったが、のちに移霊の議が起こって、この年の秋から翌年の春....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
水港《しみずみなと》へ立寄り、そこで小半時《こはんとき》も暇をつぶしたが、今度は久能山道《くのうざんみち》を駿府《すんぷ》へ出て、駿府から一里半、鞠子《まりこ》....
静岡地震被害見学記」より 著者:寺田寅彦
中部地方関東地方から近畿地方東半部へかけてかなりな地震が感ぜられた。静岡の南東|久能山の麓をめぐる二、三の村落や清水市の一部では相当|潰家もあり人死もあった。し....
ドナウ源流行」より 著者:斎藤茂吉
い気持ではなかった。譬えば、長崎でシイボルトが伊藤圭介に呉れたという虫目金とか、久能山東照宮にある西班牙マドリー製の置時計とか、京都市妙心寺の南蛮寺鐘とか、そん....
生前身後の事」より 著者:中里介山
その二幕も間《あい》の山《やま》だの大湊《おおみなと》の船小屋だのいい処は除いて久能山と徳間峠しか出せないことになったから、ほんのお景物という程度に過ぎなかった....
開運の鼓」より 著者:国枝史郎
ござる。全く他に私心はござらぬ――諸君のために某計るに、東照神君の英霊の在す駿州久能山に籠もられるこそ策の上なるものと存ぜられ申す。そこにて天下を窺わせられい」....
大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
よ。だが今後とも小ぜりあいはあろう。幕臣たる者は油断してはならない。八郎、お前、久能山へ行け! 函嶺の険を扼してくれ!」 「それは、何故でございますな?」 「二....
増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
の火災で焼失してしまった。 豊麗な秀忠廟 家康薨去の時は、最初駿河の久能山に葬り、その後間もなく日光に移したのであったが、いまに残る華麗な建築物は、....
水の遍路」より 著者:佐藤垢石
な真鯛も釣れる。 静岡の安倍川と藁科川。私は、ここでも鮎と共に幾年か過ごした。久能山に近い中島の海岸で、太平洋に注ぐ安倍川の白い波を眺めながら、石持の投げ釣り....