九州探題[語句情報] » 九州探題

「九州探題〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

九州探題の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
しく彼らの人と、その論とに触れて見よう。 今川了俊は貞世という。足利氏のもとに九州探題となって、統治に抜群の功を立てた人、後義満のとき、離間の策を弄した人があ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
四十年の昔とすぎておりますが、蒙古再来の脅えはいまだに失せておりません。そのため九州探題の下には、博多警固番をおかれ、常時、沿海の防禦にそなえておりまする。が、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
頻繁だったかが察しられよう。 「筑紫は火の国だ、血の気が多い。……気をつけぬと」九州探題の北条|修理亮英時は、伯耆から次々と入ってくる船上山の情報を手にするたび....
私本太平記」より 著者:吉川英治
も、二条の皇居は、日々入る吉報にのみ酔っていた。 九州からの早馬は、五月の末、九州探題の北条英時が、少弐、大友の兵に攻められて滅亡をとげたと報じ、長門の探題北....
私本太平記」より 著者:吉川英治
。 余波はすぐ九州へもおよび、博多の地に過去十年余の業績と人柄を称えられていた九州探題の北条|英時も、たちまち、四面楚歌の包囲中におかれ、鎌倉滅亡の日からいく....
私本太平記」より 著者:吉川英治
は受けいれた。その代りに直義もまた一条件を尊氏に呑ませた。このさい正式に、直冬を九州探題にするということだった。 これで一おう和解は円満にまとまったといえる。....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
鎌倉ノ府内ヘ突入。 二十二日 北条高時ソノ他一族全滅、鎌倉幕府|亡ブ。 二十五日九州探題北条英時戦死、長門探題降伏。 三十日 後醍醐ノ車駕、兵庫ニ到着。 六月....