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「九条〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

九条の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
れて、氷のような刃を突き付けられたようにも感じられた。 二人はしばらく黙って、九条の河原を北にむかって辿ってゆくと、うす暗い空をいよいよ暗く見せるような糺《た....
無題抄」より 著者:上村松園
ると、優れた才能ある人は、やはり余技においても上手のようです。 余技といえば、九条武子夫人を憶い出します。 九条武子夫人は、松契という画号で、私の家にも訪ね....
好きな髷のことなど」より 著者:上村松園
こだろうとも思います。 最近で日本のあるひと頃の流行の魁をなした人として、私は九条武子夫人を思い出します。 武子さんは生前自分で着物の柄などに就いて、呉服屋....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
るべし。しかもその鎮守府将軍たりしは、ただ秀郷一代のみ。そのこれに任ぜらるるや、九条兼実嘆じて曰く、「乱世の基なり」と。事は日記『玉葉』にあり。しかるに秀郷の子....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
(文治五年九月二十二日条)にも、基衡は果福父に軼ぎ、奥羽両国を管領すとある。彼は九条関白家に自筆の額を請い、また参議藤原教長に請うて、堂中の色紙形を書いて貰った....
料理メモ」より 著者:北大路魯山人
だがだんだん家が建てこみ、これも場違いになりかけている。 *えびいもは京都駅裏の九条、かぼちゃは鹿ヶ谷、壬生菜は壬生が名産で他では出来なかったが、今は住宅となっ....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
北政所が二人あるといわれたほどであったが、やはり嫡妻倫子腹の頼通の子孫から近衛・九条の二家が分れ、さらに五摂家に分れて今日に血を引いたが、高松殿腹の長家の筋は摂....
空中征服」より 著者:賀川豊彦
ず、市長排斥の相談会はそのままオジャンになってしまった。 その夜、賀川市長も西九条の島村のところへ相談に行った。島村は色々と市長を激励した。 「なに、市役所の....
浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
。吉田内閣が、警察予備隊を保安隊に切りかえその装備を充実しつつあることは、憲法第九条の違反の疑い十分なることは、何人といえどもこれを認めるところであります。自衛....
特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
、遂に八条通りにまで達するに至った。延享頃の死刑人見張番人足等の中に、六条村組下九条方というのがあるのを見ると、この頃すでに八条通りを越えて、九条方へ出ていたも....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
とと思う。現に丹後には、算所と称する特殊部落民もある。また東寺の散所法師は平安京九条の地、信濃小路猪熊の西にいたので、後に九条のエタというのは、或いはこの末では....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
うところが、また果して信ずべきか否かは、真宗の開祖親鸞聖人が名流日野家の公達で、九条関白の愛婿であったとの説と同様に、門徒以外にこれを強うることはかなり困難なも....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
と解せられる。ただこれを正確に立証すべき材料のなきを遺憾とする。彼らの住所は京都九条のうち、信濃小路猪熊の西にあった。後年九条のエタ(この村落後に退転す)として....
放免考」より 著者:喜田貞吉
情が察せられる。また「今昔」十六、「仕」とあって、その放免が長谷観音信仰の貧男を九条の辺で捕えて、これを人夫に使役した話を書いてある。 然らばさも為よと云ひけれ....
私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
ある石炭の銘柄も暗記した。それほどまでにあこがれていた石炭屋になれるときがきた。九条新道の辻尾商店という石炭屋兼回漕問屋の店で、若い店員が一人いる話がはいったか....