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「亀戸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

亀戸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
いや、その信心に関係のあることではないのですが、弘化二年正月の二十四日、きょうは亀戸《かめいど》の鷽替《うそか》えだというので、午《ひる》少し前から神田三河町の....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ながら訊いた。 おなじ裏長屋でもお津賀の家は小綺麗に住まっているらしく、軒には亀戸《かめいど》の雷除《らいよ》けの御札《おふだ》が貼ってあった。表の戸は相変ら....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一 老人とわたしと差し向いで、五月の雨のふる日曜日を小半日も語り暮した。時節柄で亀戸の藤の噂が出た。藤の花から藤娘の話をよび出して、それから大津絵の話に転じて、....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
と、小栗の屋敷はどこまでも係り合いで、女の首と碁盤とはひとまず其の屋敷の菩提寺、亀戸の慈作寺に預けることになったと云うのです。まったく関係の無いものなら、飛んだ....
水害雑録」より 著者:伊藤左千夫
恐ろしいような、面白いような、いうにいわれない一種の強い刺戟に打たれた。 遠く亀戸方面を見渡して見ると、黒い水が漫々として大湖のごとくである。四方に浮いてる家....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
人夫婦は陰った顔をそろえて半七を迎えて、かの張子の虎というのを出してみせた。虎は亀戸みやげの浮人形のたぐいで、背中に糸の穴が残っていた。半七はその小さい虎を手の....
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
外の景物の一つであった。暮春から初夏にかけては、大久保の躑躅が最も早く、その次が亀戸の藤、それから堀切の菖蒲という順番で、そのなかでは大久保が比較的に交通の便利....
獄中記」より 著者:大杉栄
の晩、上野のある仲間の家で同志の小集りがあった。その帰りに、もう遅くなってとても亀戸までの電車はなし、和田の古巣の涙橋の木賃宿にでも泊って見ようかということにな....
獏鸚」より 著者:海野十三
たところを確かめたいと思ったので、二十九日の夜、自身で江東へ出かけていったのだ。亀戸天神の裏の狭い横丁にある喫茶店ギロンというのが、かねて暁団員の連絡場所だと知....
諸国の玩具」より 著者:淡島寒月
後|廃たれていたのが、この頃またまた復活して来たのですな。今は到底売れないが昔|亀戸の「ツルシ」といって、今|張子の亀の子や兵隊さんがありますが、あの種類で、裸....
鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
ことにしなければならない。口碑によれば、むかし豊島郡石浜にあった普門院という寺が亀戸村に換地をたまわって移転する時、寺の什物いっさいを船にのせて運ぶ途中、あやま....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
しかし海路は平凡だ。陸地を辿って行くことにしよう」 腹へ滲みわたる鼓の音亀戸から市川へ出、八幡を過ぎ船橋へあらわれ、津田沼から幕張を経、検見川の宿まで来....
」より 著者:岡本綺堂
だ。なんでも明けて廿一とかいう話だったが、この芸者は京橋の福井という紙屋の旦那と亀戸の初卯詣に出かける筈で、土地の松屋という船宿から船に乗って、今や桟橋を離れた....
我楽多玩具」より 著者:岡本綺堂
その我楽多もだんだんに減って来るので困ります。大師の達摩、雑司ヶ|谷の薄の木兎、亀戸の浮人形、柴又の括り猿のたぐい、皆な私の見逃されないものです。買って来てどう....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
感じるばかりだった。 僕等は「橋本」の前で円タクを下り、水のどす黒い掘割伝いに亀戸の天神様に行って見ることにした。名高い柳島の「橋本」も今は食堂に変っている。....