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「争乱〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

争乱の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
その筋の手を煩わすなどのこと多きは、取りも直さず、灰を市に棄つるを禁ぜずして国中争乱絶えざるを致すと同じく、合祀励行の官公吏は、故《ことさ》らに衢に灰を撒きて、....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
に余りある。 義元が文にかって居た将とすれば、信長は寧ろ真の武将であった。戦国争乱の時には文治派より武断派の方が勝を制するのは無理のない話である。信長、印形を....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
である。 併しだらだらでも十一年続いたから、その影響は大きい。京都に起った此の争乱がやがて、地方に波及拡大し、日本国中が一つの軟体動物の蠕動運動の様に、動揺し....
近時政論考」より 著者:陸羯南
叛逆の精神を含みたるものなるにつき、もしその実践を誤れば名状しあたわざるところの争乱を醸すやあたかも阿片モルヒネに利用害用あるがごとし。 と。しかして当時民権を....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ならずに済んだ。アメリカ政府は英人らと力を合わせてシナと戦争したことはない。シナ争乱の基と言えば、その一つはアヘンである。アヘンは英領東インドの産するところ。そ....
厨房日記」より 著者:横光利一
って来た敵の槍さきも、蹴脱す前に先ず槍を握って相手の顔を見たくなった。スペインの争乱が日日銃火を切って殺し合う図を思い描いても、思想の戯れの恐怖より銭欲しさの生....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ると、それがいわゆる近江商人の勢力の一大原因であるかのように感ぜられます。国土が争乱の巷《ちまた》となるが故に、住民が他国へ進出する機縁となる、逆縁がかえって利....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
《するが》の人質 数年の辛苦も臣下の忠義に ようようお家にお帰りなさると 門徒の争乱 大高城内、兵糧運びの 三方《みかた》ヶ原《はら》には一騎の脱走 武田北条、....
人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
の用心と武力とにより辛うじて彼らは撃退された。しかし大帝の弱体後継者の下で帝国が争乱に陥っている時に、彼らは猛火の如くに低サクソニイ、フリイズランド、オランダ、....
人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
中、比較的小さな州については詳しいことを知り得なくて大いに失望したが、これは国が争乱の中にあったために出来なかったのである。しかしながら、これらの小さな州はたい....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
の路を逆に行ったものでしょう。その前年に蘇我馬子が死んでいます。その結果として大争乱が帝都に起って、クーデタの結果としてある氏族の大群が東国へ逃れる事情が起った....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
じまる頃から数えるとおよそ三百年、ほとんど絶え間なしに打ちつづいた日本国じゅうの争乱も、元和元年の大坂落城を最後としてひとまず静謐に帰したが、寛永十四年の冬から....
エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
か不安な瞬間もあったにちがいない。全市が伯爵の煽動に呼応して、その結果が恐ろしい争乱となる、というようなことも考えられるのだった。だが、エリザベスというかつて人....
欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
方に不平を有するものあり。この不平不満足の心は、必ず幽鬱して病患を結び、激発して争乱を醸すに至るべし。しかるに実際上これをみるに、政治上不平あるものも法律上満足....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
歳の青年であった。それは『千載集』奏覧の足かけ八年まえであったが、日記に、源平の争乱を記して、「世上の乱逆追討は耳に満ちたりと雖も、これを注せず、紅旗も征戎も吾....