争覇[語句情報] »
争覇
「争覇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
争覇の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
の決勝戦を迎えたのであります。 英国は第一次欧州戦争の勝利により、欧州諸国家の
争覇戦に於ける全勝の名誉を獲得しました。しかしこの名誉を得たときが実は、おしまい....
「白痴」より 著者:坂口安吾
順番制度をつくっている。それによって各自の凡庸さを擁護し、芸術の個性と天才による
争覇を罪悪視し組合違反と心得て、相互扶助の精神による才能の貧困の救済組織を完備し....
「白銀の失踪」より 著者:ドイルアーサー・コナン
っていた。いま彼の推理力と太刀打ちの出来る問題といえばただ一つ、ウェセックス賞杯
争覇戦出場の名馬の奇怪なる失踪と、その調馬師の惨殺された事件があるのみだ。だから....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
都の大町人であり、また金力の所有者なのであった。
だから、武家と武家との権力の
争覇が起っても、そういう大町人の門は、両方から保護されて、続くことも代々永く続い....
「三国志」より 著者:吉川英治
ばしたりなどしたら、漢室の紊乱はたちまち諸州の野望家のうかがい知るところとなり、
争覇の分脈は、諸国の群雄と、複雑な糸をひいて、天下はたちまち大乱になろう」 そ....
「三国志」より 著者:吉川英治
わかに道をかえて、夜と共に悄然と落ちて行った。 前には、恋の貂蝉を亡い、今また
争覇の地を失って、呂布のうしろ影には、いつもの凜々たる勇姿もなかった。 好漢惜....
「三国志」より 著者:吉川英治
三国志演義」も、孔明の死にいたると、どうしても一応、終局の感じがするし、また三国
争覇そのものも、万事|休む――の観なきを得ない。 おそらくは読者諸氏もそうであ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
は、蝦夷の空は戦かいな」 群集、多くの顔は、うららかに聞いていた。 もう源平
争覇の社会を眼に見た人間は地上にいない。蒙古襲来の国難なども、老人の炉辺話でしか....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
りが知れないように、彼にも分らない。 しかし、橘を氏とし、橘を家の紋とし、源平
争覇のころから、代々の楠木家の祖先が、よほどな粒々辛苦で、土豪の地位を、築いてき....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
播州赤穂郡から備前|三石に入る国境であり山陽道一の険路でもあるので、ここでは源平
争覇の時代から天下異変というとすぐ武族の充血や築塁が見られ、とかく戦場にされやす....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
。 それじたいが、朝廷の浮沈もここに賭けたことになる。やぶれれば朝廷たりとも、
争覇の敵の驕りに屈する覚悟のもとでなければならない。 その大任を負って、新田|....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
に自己の一小隊だけをつれて陸へ上がって行った。 これまでの九州は、いわば中央|
争覇の圏外だった。ここも武家宮方の両派に別れていたが、要するに、両勢力のいずれに....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
い土地だという立証になる。それは京都の市制や地区行政がわるいのではなく、遠く武家
争覇の頃から、応仁の乱や戦国を演じて来た主演者の兵火が禍いなのである。どこにだっ....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
ねく、ひとつ地上を、ふた色に住んでいます。しかも今、源氏の棟梁源ノ義朝は、中央の
争覇にやぶれて、子の悪源太義平や頼朝や数騎の幕僚のみをつれて、やっと血路をひらき....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
坂の非人は祇園感神院に属し、奈良坂のは東大寺に属しておったから、ここにも南都北嶺
争覇の影響が及んでいたものらしく、仁治、寛元年間に縄張争い等の事から軋轢を始めて....