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事蹟
「事蹟〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
事蹟の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
た間に、初子は伊達|安芸らと心をあわせて、陰に陽に我が子の亀千代を保護した。その
事蹟が誤まって、かの政岡の忠節として世に伝えられたのだと、仙台人は語っている。あ....
「黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
――という記録が載っている。また、フィリップ三世が巴里中の癩患者を焚殺したという
事蹟を聞いて、六代後の落魄したベルトランが、今度は花柳病者に同じ事をやろうとした....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
荒次郎をはじめ一|族の殆んど全部が城を枕に打死を遂げたことはあまりにも名高き史的
事蹟であります。その際小櫻姫がいかなる行動に出たかは、歴史や口碑の上ではあまり明....
「最古日本の女性生活の根柢」より 著者:折口信夫
、かならず巫女として費されてきたものと見てよい。してみれば、古代史に見えた女性の
事蹟に、宗教の匂いの豊かな理由も知れることである。女として神事に与らなかった者は....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
が相当の文才を所有していたことが窺い知られる。円朝は塩原多助を作るときにも、その
事蹟を調査するために、上州沼田その他に旅行して、「上野下野道の記」と題する紀行文....
「人魚謎お岩殺し」より 著者:小栗虫太郎
巨兵を作ろうとした。ところが、日本においても天明のころ、その二つを合したような、
事蹟が残されているのだ。 それが紀州公|姉川探鯨だったのである。 正史におい....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
蔵が処刑されようとした庚申塚の刑場も近く、信乃の母が滝の川の岩屋へ日参したという
事蹟から考えても高等師範近所と判断するが当っているだろう。 ところで信乃がいよ....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
鱗をはがしたと伝えられている。かれは享保年間に尾州領内をあらし廻った大賊で、その
事蹟は諸種の記録にも散見している。しかし天主閣の鱗をぬすんだというのは嘘かほんと....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
残を留めておる。地震でドウなったか知らぬが大方今は散々に荒廃したろう。(八兵衛の
事蹟については某の著わした『天下之伊藤八兵衛』という単行の伝記がある、また『太陽....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
い、あるいはラママニといって仏のした行いあるいは昔の高僧の歴史または大王が行うた
事蹟についていろいろの説明の絵が描いてある。その絵をば、哀れな声、面白い声、活発....
「宝永噴火」より 著者:岡本かの子
であった。岩次郎は或る日、村の小屋掛けの芝居を見に行った。外題は「鍋冠り日親」の
事蹟を取扱ったものであった。日蓮上人の弟子のこの日親は官憲から改宗を迫られて、こ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
をとげられ、弘和元年『新葉集』を撰ばれた頃は河内国に住居された。しかしその後の御
事蹟は不明で、薨去の年月も御終焉の地も、いずれもはっきりは判らない。大体は元中二....
「古事記」より 著者:太安万侶
とはありませんでした。 古事記の企畫(序文の第二段) ――前半は天武天皇の御
事蹟と徳行について述べる。後半、古來の傳えごとに關心をもたれ、これをもつて國家經....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
子の御達識にしてはじめて可能となるものでありまして、以後歴代の仏教家が、太子の御
事蹟を以て日本仏教の師教と仰ぎ奉るのであります。 民族精神の暢達、国民生活の向....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
ぷに充分なるものがあるではないか」 (三)、「宝鈔胡同の柴大人の民心把握の偉大な
事蹟をたずねた方がこの際特に意味深いであろう。 満州人敦厚の“都門紀変三十首絶....