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「二十四孝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

二十四孝の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
教育と文芸」より 著者:夏目漱石
り得ないほどの、理想を以て進まねばならなかった。親が、子供のいう事を聞かぬ時は、二十四孝《にじゅうしこう》を引き出して子供を戒《いまし》めると、子供は閉口《へい....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
綺麗なかたで、去年元服をなさいましたが、前髪の時分にゃあ忠臣蔵の力弥《りきや》か二十四孝の勝頼《かつより》を見るようで、ここから船にお乗りなさる時は、往来の女が....
惜別」より 著者:太宰治
わからないので、日夕|兢々として、これ見よがしに大袈裟に親を大事にして、とうとう二十四孝なんて、ばからしい伝説さえ民間に流布されるようになったのです。」 「それ....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
神霊が附き添いおられるということだ」 「ちゃあんと浄瑠璃にも書いてある奴さ」 「二十四孝のご殿かね」 「……こんな殿ごと添い臥しの身は姫御前の果報ぞとツンツンテ....
大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
が消えるのだ。私は洋服をきせてもらって、紅白のまんじゅうをもらいに、学校へ行く。二十四孝の描かれた屏風、松竹梅、赤い毛氈、親類の改まった顔等、皆正月を正月らしく....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
晴《あっぱ》れ手練のこの槍先、受けてはたまらぬ大切《だいじ》の幼な児……」という二十四孝の舞台面は、かなりに高坂弾正の器量を上げるように書いてあります。そのはじ....
大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
ひたひたと暮れて来た。 その後の相談で決まったのは「一谷双軍記」とそれに「本朝二十四孝」それへ「暫」と「関の戸」を加えすっかり通そうというのであった。 同じ....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
ですがねえ」 「さ、さよう。……いかにも、二十四挺。なぜかと言いますと、そのおり二十四孝をさらっておりましてね、それで、はっきり覚えております。ひッ」 「たしか....
酒渇記」より 著者:佐藤垢石
ど、何の役にもたたない。とうとう私の一生は、酒のために祟られてしまった。 『本朝二十四孝』八人の猩々講に――波の鼓の色もよく、長崎の湊にして猩々講を結び、椙村の....
植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
での俗称であったのだが、今日ではこれが我国の通名となっている。元来孟宗は中国での二十四孝中の孝子の名で雪中に筍を掘って母に進めたといわれる故事から、この竹の筍が....
学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
の誠をもってこれに孝行すべきなり。古来和漢にて孝行を勧めたる話ははなはだ多く、『二十四孝』をはじめとしてそのほかの著述書も計《かぞ》うるに遑《いとま》あらず。し....
漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
どうか春晴に乗じて一日川があって帆懸舟の通る所へ行って遊びたい。それから東京座の二十四孝というものが見たい。今月は『新声』でも『新潮』でも手廻しがいい。みんな三....
親子の愛の完成」より 著者:羽仁もと子
きを問い、四方山《よもやま》の話相手にもなり、とくに親孝行といわれるほどの人は、二十四孝《にじゅうしこう》の芝居でみるように、肩をもみ腰をなで、洗足《せんそく》....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
も眼をまわしたかも知れない。 この興行は、歌舞伎座の狂言が「おこよ源之丞」と「二十四孝」と「明烏」で、一月十二日正午十二時に開場し、明治座は「伊達騒動」の通し....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
時、一層その英姿を引立たしむる等その活用の範囲|挙《あ》げて数ふべくもあらず。『二十四孝』十種香《じっしゅこう》の場《ば》の幕明を見たるものは必ず館《やかた》の....