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二千石
「二千石〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
二千石の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
道《ずいどう》であります。その隧道を通って、この湖水の水が沼津の方に落ちまして、
二千石|乃至《ないし》三千石の田地を灌漑しているということを聞きました。昨日ある....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
夫こそは、右門が彼女をご大家のお後室さまとにらんだとおり、いにしえはれっきとした
二千石取りの大旗本でありました。しかも、大久保|加賀守《かがのかみ》の血につなが....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
りしたんしゅうと》の疑いがあったからのことじゃ。――御無礼仕ったな。千石だろうと
二千石だろうと、お気のままに江戸から取りよせて、たんと遊ばっしゃい」 嘲り顔に....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
立てこもる場所もなかるべければ、今よりは我に仕えよ」と氏郷の与力として、三千石と
二千石を与えた。 秀吉が、後世まで人気のあるのは、こう云う所にあるのだろう。 ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
と声をかけた。 「おゝ、馬籠の本陣か。」 奉行の砕けた挨拶だ。 水野|筑後は
二千石の知行ということであるが、特にその旅は十万石の格式で、重大な任務を帯びなが....
「富貴発跡司志」より 著者:田中貢太郎
。友仁は何を言うだろうと思って案の下へ身を屈めて聞いていた。 「―県の―は、米を
二千石持っておったが、この頃の旱魃と虫害で、米価があがり、隣境から糴がこなくなっ....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
権助は合戦ある毎に好い働きをする。で氏郷は忽《たちま》ち物頭《ものがしら》にして
二千石を与えたというのである。後に此男が打死したところ氏郷が自ら責めて、おれが悪....
「錦染滝白糸」より 著者:泉鏡花
に活けた白菊かな。 白糸 え。 七左 まずおいで。(別れつつ)はあてな、別嬪二人
二千石、功名々々。(繻子の洋傘を立てて入る。) 白糸 (二三度|※徊して、格子に....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ろが、元禄五年に至って、玉置市正なるものが千石の加増を賜わって、知行《ちぎょう》
二千石となるや、その翌年正月、光友から市正に小姓衣を振舞われた。その時、奥勤めの....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
里半。倉ヶ野から高崎へ一里十九丁。 高崎は松平|右京亮《うきょうのすけ》、八万
二千石の城下。それより坂鼻へ一里三十丁。坂鼻から安中《あんなか》へ三十丁下り。こ....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
海道本筋から離れて、文居《もんい》、藤堂佐渡守様《とうどうさどのかみさま》、三万
二千石、江戸より百六|里《り》。
つぎが、長野《ながの》、山田《やまだ》、藤堂....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
、平八の右手をムズと掴んだ。 「これは乱暴、なにをなされます」 ご禁制の
二千石船 不意に驚いた平八が、引っ込めようとするその手先を、武士は内側へグイと....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
郎は、益満は、道を譲らなくてはならなかった。伊集院平の倅が、少し馬鹿であっても、
二千石を継ぐのに十分であった。益満は、それに不平をもっていたが、小太郎は諦めてい....
「魔像」より 著者:林不忘
《なかざか》近く。 堀留の横町からもちの木坂へ差し掛る角屋敷は、西丸御書院番、
二千石の知行《ちぎょう》をとるお旗本、大迫玄蕃の住居である。 この玄蕃。 青....
「酒渇記」より 著者:佐藤垢石
ど飛鳥のように飛び越す武人であったが、小野木家滅後細川家へ仕えたのである。そして
二千石を領していた。 蔵人は、父の死後も身持ちが直らない。朝から酒をくらって遊....