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二天
「二天〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
二天の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
でござんす?」 「めぐりあわせというものは不思議なもの、もと同じ加賀様に仕えて、
二天流を指南しておりました黒岩清九郎さまとおっしゃるかたでござります」 「やっぱ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
へあがって、型のごとくに参詣をすませたが、ちょうど今が人の出潮とみえて、仁王門と
二天門の両方から潮のように押し込んで来るので、帰り路はいよいよ難儀であった。鍋久....
「巌流島」より 著者:直木三十五
に、勢源は「岩流」を樹つる事を許した。「岩流」又は「巌流」とかく。信頼すべき書「
二天記」によると「その法最も奇なり」と有るから、独創の攻防法を編出していたものと....
「新版 放浪記」より 著者:林芙美子
てとたんかの一つもきりたいようないい気持ちで戸外へ出る。広い道をふらふらと歩く。
二天門の方へまわってみる。ごたごたと相変らずの人の波だ。裸の人形を売っている露店....
「ああ華族様だよ と私は嘘を吐くのであった」より 著者:渡辺温
イト!』 と、私は答へた。 私達は、それから本牧へタキシイを駛らせながら、十
二天と小港の何れを択ぶべきかと相談した。 そして結局、キヨ・ホテルはブルジョワ....
「七宝の柱」より 著者:泉鏡花
る、まことに天上の柱である。須弥壇は四座あって、壇上には弥陀、観音、勢至の三尊、
二天、六地蔵が安置され、壇の中は、真中に清衡、左に基衡、右に秀衡の棺が納まり、こ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
だ。それから推して大黒足下の女神は鼠の精と知れる。されば、増長、広目《こうもく》
二天が悪鬼毒竜をふみ、小栗《おぐり》判官《はんがん》、和藤内《わとうない》が悍馬....
「三十歳」より 著者:坂口安吾
ことを知りました。私の知人とは、佐川という人で、アパートは大森堤方のみどり荘と十
二天アパートで、その後者にあなたが居られることを知ったわけです。 管理人からあ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
キリ区別が出来ましたために、諸門は観音に附属するものになって、矢大臣を取り去って
二天を祭り、今日は
二天門と称している。神馬も観音の地内には置くことが出来ない故、....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
ですな。館丁は命をうけて鞠躬如として出て行く。それから何にしましょう、西大寺の十
二天、さよう、一幅でいいとなるとまず水天ですかな、まあそうでしょうな、それから、....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
致があった。――だから、まだ乳くさいわしなどの夢は夢に過ぎず、もっと自身を、文武
二天へ謙譲に仕えて研きをかけねばならぬ。――世を政治する前に、もっともっと、世か....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
宮を初めわが子義隆をも、たって南谷から天河方面へ落ちのびさせた。 そして彼は、
二天門の上にのぼった。 落ちてゆく、宮やわが子の先途を、義光の眼がさがしていた....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
原在陣中の書簡のような)彼に関する余話はなかなか尽きそうもない。殊に、彼の遺墨、
二天の画は、よく話題を生んで、著者のところへも、時々未見の物を持ちこまれる人が多....
「押入れ随筆」より 著者:吉川英治
、自然、諸家の説に服すしかなく、おかげで諸国のみそを遍歴したが、この頃では、浅草
二天門の老舗が取次いでいる四種類のみそを、交互に更えて、用いている。 だいたい....
「大岡越前」より 著者:吉川英治
籠屋が混み初めて来た。大亀は、市十郎の耳へ、囁いた。 「――おめえは、先へ出て、
二天門の前で待っていてくれ。後から行くから」 市十郎は、先に出て、
二天門で待っ....