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「二科会〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

二科会の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
極的な個人主義をまぬがれることが出来なかったかと思って……。 ところがその後、二科会へ行って絵を見ていたら、うしろからソッと肩に手を置いた奴がいる。ふりかえっ....
きりぎりす」より 著者:太宰治
。 私たちは、急にお金持になりました。あなたも、ひどくおいそがしくなりました。二科会から迎えられて、会員になりました。そうして、あなたは、アパートの小さい部屋....
からすうりの花と蛾」より 著者:寺田寅彦
の花のほんとうの生きた姿が実に言葉どおり紙面に躍動していたのである。 ことしの二科会の洋画展覧会を見ても「天然」を描いた絵はほとんど見つからなかった。昔の絵か....
獄中記」より 著者:大杉栄
行った。この和田も久板も今は初陣の新聞紙法違犯で東京監獄にはいっているが、本年の二科会に出た林倭衛の「H氏の肖像」というのはこの久板の肖像だ。 吉原の大門前を....
めでたき風景」より 著者:小出楢重
胃腸の手当てで暮す。こおろぎ鳴く。 十月、初秋の自然は風景写生によろし、されど二科会大阪開会とある。相当出勤の義務あり。トランクより冬帽、セーター、オーバー等....
大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
いる。かく雑然と書いていると長くなるので擱筆する。 (「アトリエ」昭和四年三月)二科会随想 今年の二科は会場の都合であるいは関西における開会を断念せねばならぬ....
震災日記より」より 著者:寺田寅彦
あった。雑誌『文化生活』への原稿「石油ランプ」を書き上げた。雨が収まったので上野二科会展招待日の見物に行く。会場に入ったのが十時半頃。蒸暑かった。フランス展の影....
家庭の人へ」より 著者:寺田寅彦
合にはすっかり安心して落着いていられるのである。関東地震の起った瞬間に私は上野の二科会展覧会場の喫茶店で某画伯と話をしていた。初期微動があまり激しかったのでそれ....
昭和二年の二科会と美術院」より 著者:寺田寅彦
二科会(カタログ順) 有島生馬氏。 この人の色彩が私にはあまり愉快でない。いつ....
異質触媒作用」より 著者:寺田寅彦
、洋画の方には鎧武者や平安朝風景がない。これも不思議である。 帝展には少ないが二科会などには「胃病患者の夢」を模様化したようなヒアガル系統の絵がある。あれはむ....
安吾巷談」より 著者:坂口安吾
な大教祖には、とてもなれないと私は鑑定している。 ★ 私は二科会には友人もいるし、好きな画家もいる。戦争以来、終戦後の今日に至るまで展覧会....
烏瓜の花と蛾」より 著者:寺田寅彦
帯びたこの花の本当の生きた姿が実に言葉通り紙面に躍動していたのである。 今年の二科会の洋画展覧会を見ても「天然」を描いた絵はほとんど見付からなかった。昔の絵描....
帝展を見ざるの記」より 著者:寺田寅彦
の年中行事の一つになっていた。 ところが今年は病気をして外出が出来なくなった。二科会や院展も噂を聞くばかりで満足しなければならなかった。帝展の開会が間近くなっ....
大切な雰囲気」より 著者:石井柏亭
』に漏れた、昭和二年から四年へかけての二三篇「国産玩具の自動車」「挿絵の雑談」「二科会随想」等も含まれはするが、其大部分は其最も晩年なる五年中に書かれたものであ....
茂吉の一面」より 著者:宇野浩二
である。――昭和十年から十五、六年頃までの時分であったろうか、毎年、九月一日が、二科会と美術院の展覧会の招待日であった。しかし、茂吉は、脳病院の院長という重要な....