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二者
「二者〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
二者の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「人外魔境」より 著者:小栗虫太郎
|天母生上の雲湖《ハーモ・サムバ・チョウ》」へわけいって源流を閉じるか、――その
二者以外に遮断の方法はないと考えていた。なぜなら、水量が減れば激流となって、そこ....
「時代閉塞の現状」より 著者:石川啄木
自体に関するものなるかぎり、かならず何らかの意味において自己主張的、自己否定的の
二者を出ずることができないのである。すなわち、もし我々が今論者の言を承認すれば、....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
。変化こそは唯一の永遠である。何ゆえに死を生のごとく喜び迎えないのであるか。この
二者はただ互いに相対しているものであって、梵(三五)の昼と夜である。古きものの崩....
「鶴は病みき」より 著者:岡本かの子
、稀に見る稚純の士であり乍ら、作風のみは大人君子の風格を学び備えて居る為めにその
二者の間隙や撞着矛盾が接触する者に誤解を与える。」こんな意味のものだった。葉子が....
「猿飛佐助」より 著者:織田作之助
、これ能く忍ぶという、一瞬にして五体を隠す所謂五遁の術をも、これ能く忍ぶという。
二者を能く忍ぶ即ち忍術の名人なり。忍術の名人にして且つ飛行の術を能くする者即ち鳥....
「近藤浩一路氏」より 著者:芥川竜之介
偶然ではない。漫画には落想の滑稽な漫画がある。画そのものの滑稽な漫画がある。或は
二者を兼ねた漫画がある。近藤君の漫画の多くは、この
二者を兼ねた漫画でなければ、画....
「可能性の文学」より 著者:織田作之助
だ。日本の伝統的小説にもいいところがあり、新しい外国の文学にもいいところがあり、
二者撰一という背水の陣は不要だという考え方もあろうが、しかし、あっちから少し、こ....
「書籍の風俗」より 著者:恩地孝四郎
大山(強孤形)、中山(緩孤形)それと、角丸(かまぼこ形)とある。普通見る丸背は前
二者であって、角丸は、技術の未熟のために余り日本では少ないが西洋本は多くがこれで....
「妖怪学」より 著者:井上円了
形の肉身と全くその性質を異にすることを知り、物心のほかに一種霊妙の神体ありて物心
二者を支配するものと信じ、一切物心の変化は、その体の媒介または感通より生ずるもの....
「妖怪学一斑」より 著者:井上円了
を御報道に及びたいと思います。 さて、この偶合論については、これを偶然と必然の
二者に解釈をいたしておかねばなりません。偶然とはいかなることかと申すと、わけも道....
「迷信解」より 著者:井上円了
怪にして、偶然誤りて、妖怪にあらざるものを妖怪と認めたるものをいうのである。この
二者は古今の妖怪談中に最も多く加わりおるに相違なきも、その実、妖怪にあらざるもの....
「妖怪玄談」より 著者:井上円了
情をいうなり。 まず第一に内因を述ぶるに、その主たるものを不覚筋動と予期意向の
二者とす。今この
二者を知らんと欲せば、不覚作用について一言せざるべからず。不覚作....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
の低きものは、人その山たるを覚えず、ただこれを広原平野と呼ぶのみ。しかして、この
二者中いずれが最も地球の重量を成すに加わりて力ありやというにいたりては、その低き....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
山雪をいただきて走るを見る所、毫もノルウェー西岸と異なることなく、その風光の美は
二者伯仲の間におる。ただ遺憾なるは、雨のために遮られて、全景に接するを得ざるにあ....
「絶望より生ずる文芸」より 著者:小川未明
し第三者の私には実に冷たい悲しい事に感ぜられるのである。此所が私にとって、文芸の
二者が分岐する道であると思われるのである。 即ち一は此の生活の根柢の何であるか....