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「二重橋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

二重橋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
喝采」より 著者:太宰治
がいっぱいだぶだぶたまって、ああ、夕立よ、ざっと降れ、銀座のまんなかであろうと、二重橋ちかきお広場であろうと、ごめん蒙《こうむ》って素裸になり、石鹸《せっけん》....
街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
ら困るんだ……。 見たまえ! 苟《いやしく》も江戸ッ子を以て自ら任ずる者で、二重橋にお辞儀をするものは一人もあるまい。馬鹿馬鹿しい……そんなのが忠義じゃない....
如是我聞」より 著者:太宰治
。そこが秘訣だ。その家族と喧嘩をして、追われるように田舎から出て来て、博覧会も、二重橋も、四十七士の墓も見たことがない(或いは見る気も起らぬ)そのような上京者は....
」より 著者:島崎藤村
誰があんな事業に八年も取付いていられるものか。まだ俺は覚えているが、夜遅く独りで二重橋の横を通って、俺の精神を歌に読んだことがある。あの時、自分でそれを吟じて見....
老夫婦」より 著者:黒島伝治
両人は所在なさに、たび/\こんな話を繰り返えした。天子さんのお通りになる橋とは二重橋のことだった。 「今日、清三が会社から戻ったら連れて行ってくれるように云お....
次郎物語」より 著者:下村湖人
たような顔をして、笑った。 「どの方面の希望者が多かったんです。」 「たいていは二重橋を見て、それから銀座に行きたがっていたようでした。」 「相変わらずですね。....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ころが、ですよ。この自動車がいよいよ皇居前にさしかかった時に、驚くべし。東京駅と二重橋の間だけは、続々とつづく黒蟻のような人間の波がゴッタ返しているのです。これ....
回想録」より 著者:高村光太郎
るが、美術学校の中に臨時に小屋を拵えてやっていた。楠公の像の木型が出来て、それを二重橋の内に持って行って飾りつけ、先ず明治天皇が天覧になった。その後で私共も見た....
美術学校時代」より 著者:高村光太郎
するかということについて迷ったことはなかった。美術学校にも自然に入ってしまった。二重橋前の楠公の銅像の出来上ったのは明治二十六年頃で僕が十一歳の時であり、美術学....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
て御覧の出来る所、すなわち正門内よりほかあるまいということになった。その地位は、二重橋を這入った正面の御玄関からぐるりと廻って南面したところの御玄関先ということ....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
と後のことで、その建設の場所なども、最初は学校の方で選定することになっておって、二重橋寄りで、直ぐ門に接した処にしたいという考えであったが、それは宮内省の方で、....
支那の思出」より 著者:国枝史郎
父と仰ぐ守衛を喜ばせ、それで私に敬意を表したに相違ない。私たちだって、外人などが二重橋前に立って宮城に対し、恭しく遥拝している姿を見ると、その外人に対し、感謝したくなるではないか) と思った。....
丸の内」より 著者:高浜虚子
まっていて、屡々用事があって麹町の内幸町に行った。竹橋を渡って和田倉門をはいり、二重橋前を桜田門に出で、それから司法省の前を通って行くのであるが、ゆる/\歩いて....
私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
橋から上野まで馬車鉄が走っていたころの東京である。私はそれには乗らず、鍛治橋から二重橋へ向かい、うやうやしく宮城を遥拝した。 上野の博物館へはいって、出てから....
早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
、今の野球々場を振出しに、鶴巻町通りから矢来神楽坂を経、九段からお濠に沿うて宮城二重橋前まで、はじめて皆一斉に「都の西北」を高唱しながら練歩いて行ったその時の感....