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「五山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

五山の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
草枕」より 著者:夏目漱石
とう、上まで登り詰めた。 石段の上で思い出す。昔し鎌倉へ遊びに行って、いわゆる五山《ごさん》なるものを、ぐるぐる尋ねて廻った時、たしか円覚寺《えんがくじ》の塔....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
。此たびはじめて出来たる足軽は、超悪したる悪党なり。其故に洛中洛外の諸社、諸寺、五山|十刹、公家、門跡の滅亡はかれらが所行なり。ひとへに昼強盗といふべし。かゝる....
不審庵」より 著者:太宰治
に於いていちじるしく明白に御座候。 そもそも茶道は、遠く鎌倉幕府のはじめに当り五山の僧支那より伝来せしめたりとは定説に近く、また足利氏の初世、京都に於いて佐々....
雪の宿り」より 著者:神西清
出ました雲章一慶さまも、お歳こそ七十ぢかいとは申せまだまだお壮んな頃で、かねがね五山の学衆の、或いは風流韻事にながれ或いは俗事|政柄にはしって、学道をおろそかに....
戯作者」より 著者:国枝史郎
籠持ちとなって見たり、そうかと思うと儒者を志願し亀田|鵬斎の門をくぐったり、石川五山に従って柄にない狂歌を学んだり、橘千蔭に書を習ったりしたが、成功することは出....
くろん坊」より 著者:岡本綺堂
してわたしを手離すことになったのでした。あとで知ったのですが、その出家は鎌倉でも五山の一つという名高い寺のお住持で、京登りをした帰り路に、山越えをして北陸道を下....
美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
はわれわれにとって無上の教訓となる芸術上の恐ろしい約束である。 背後に蔚然たる五山文学の学芸あり、世は南北朝の暗澹たる底流の上に立って興廃常なき中に足利義満等....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
しく破壊的でまた建設者があらわれて、この比叡山にも大鉄槌を下したため、それ以後の五山は、政治や特権から放逐され、今では寂として、元の法燈一|穂の山に回ろうとして....
私本太平記」より 著者:吉川英治
師の名は疎石、夢窓と号して、寧一|山の会下に参じ、仏国禅師の法脈をつぎ、今や、五山第一の称えもあるとか。 諸国、居る所に禅風を興して、また飄として去るといっ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ここ幾夜もお嘆きでございましたが、はや東慶寺の御門も危うくなりましたので、今暁、五山の僧衆に守られて、円覚寺の奥まった一院へお身をお移しなされました」 「そうか....
私本太平記」より 著者:吉川英治
去って、庶民の声に聞くがよい」 幕府には政策もある。 こんどのことを機会に、五山の禅宗にもいちばいの権威をもたせ、従来の叡山勢力や南都の横暴を抑えようとする....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
興りを観ると、宋末大陸の画風をもっとも早く日本に招来したものは、いうまでもなく、五山の禅僧たちであって、馬遠、夏珪の宣和画院系の墨画あたりから、梁楷、因陀羅、牧....
エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
しめ、堂上家がエタに飲料水の井戸を掘らしめて、あえて不思議としなかった時代にも、五山の僧侶などは甚だしくこれを忌がったものである。「臥雲日件録」文安三年十二月二....
雪村筆「茄子図」」より 著者:吉川英治
らぶ、独自な画境をもった奇才だといわれている。けれど彼は当時の東山文化に棹さした五山の画僧でもなし、都会画家の一人でもない。むしろそれらを白眼視していたかも知れ....