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「亡い〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

亡いの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
白金之絵図」より 著者:泉鏡花
に及ばぬ時は、師の記念とも存じ、心腹を語ったに――いまは惜からぬ生命と思い、世に亡い女房が遺言で、止めい、と申す河豚を食べても、まだ死ねませぬは因果でござるよ。....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
、小庭を前にした椿岳旧棲の四畳半の画房も皆焦土となってしまった。この画房は椿岳の亡い後は寒月が禅を談じ俳諧に遊び泥画を描き人形を捻る工房となっていた。椿岳の伝統....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
出したのは、死んだ親父の遺言だ。おやじが大病で所詮むずかしいというときに、おれの亡い後、もし一生に一度の大難に出逢ったらば、おれの名を呼んでこういう呪文を唱えろ....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
、こう言わせた。 「わたしの代りにあなたの命を取っても仕方がありません。わたしの亡い後に、老母や幼な児の世話をして下さるというならば、わたしは自分の粗相で滑り落....
番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
この皿を宝物のように心得て、召使の者がもし誤ってその一枚でも打砕いたが最後、命は亡いものと思えと厳重にいい渡されて、それが家代々の掟となっていた。 そんな面倒....
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
とを仰せられたことがございました。 「わたしの生きている中はよろしいが、わたしの亡い後には女どもの芝居見物は一切止めさせたい。」 鳥渡うけたまわりますと、なん....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
とだけである。 また時が立った。今度は歳月の間隔が長かった。その間に鶴見は父を亡い、その翌年には結婚していた。 或る日の晩方である。一人の比丘尼が訪れて来た....
女難」より 著者:国木田独歩
たが、ここが大事の場合だと、母の法名を念仏のように唱えまして、暗に乗じて山里を逃亡いたしました、その晩あたりは何も知らないお幸が私の来るのを待ち焦れていたのに違....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
南の野に戦死してしまった。そのラブ・レターのことで私をからかった中村憲吉君も今は亡い。 すべては移り流れる。かわらぬものは生の欲望の尽きるまで燃えてやまぬ焔の....
運命」より 著者:幸田露伴
、身も細々と瘠せ細りたまいぬ。太祖これを見たまいて、爾まことに純孝なり、たゞ子を亡いて孫を頼む老いたる我をも念わぬことあらじ、と宣いて、過哀に身を毀らぬよう愛撫....
「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
は殊に罪深いときいて居ります。身々とも御なりになったのち幼き御子様を御育になって亡い人の形見と御らんなってまだそれでも御心がいがなかったら此のみの様をかえ亡い人....
敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
りますが、これも絶えて音信が無いから、今では死んだか生きたか分りません、若し兄が亡い後は私は全く一粒種で」 山「何うもよく似た事が有りますねえ、私も一人の姉が有....
菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
ば直に殺されるか、刺違えて死兼ぬ忠義|無類の極頑固な老爺でございますから、これを亡いものにせんけりアなりません。 十八 老女も中々の才物ではご....
塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
て帰ったおえいは、十三年あと勾引された娘だという訳から、斯うして居るのだが、己が亡い跡では此の多助もどうせ女房を貰ってやんねえければなんねえが、おえいと多助とは....
業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
ございます」 母「喰《た》べんと云ったら喰べん、文五右衞門《ぶんごえもん》殿の亡い後《のち》は私《わし》が親父様《おとっさま》の代りでございます、武士に二言は....