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「亡友〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

亡友の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
昔に見た童顔に浮ぶ温雅な微笑を思い浮べるのであった。 この書の翻訳としては先に亡友一戸直蔵君の『宇宙開闢論史』がある。これは久しく絶版となっているのであるが、....
国際殺人団の崩壊」より 著者:海野十三
のも、実は此の一篇の本筋は作者が空想の上から捏ねあげたものではなく、作者の親しい亡友Mが、其の死後に語ってきかせて呉れたものなのである。亡友Mについては、いずれ....
壊れたバリコン」より 著者:海野十三
がね。というのも実はこの物語の主人公であり、又同時に尊い実験者であるところの私の亡友Y――が亡くなる少し前に、是非私に判断して呉れという前提のもとに秘密に語った....
柿の種」より 著者:寺田寅彦
老人たちを想い出して、この天下に普遍な家庭小悲喜劇の心理分析を試みる機会を得た。亡友K君が眼病で手術をして一時失明したことがあった。かんしゃくが起こりはしないか....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
再現せられたる如くに、新帰朝者の眼に映じたのであった。その中で、小御岳の小舎で、亡友、曾我部一紅追悼登山の納め手拭を見出した時、私の眼にうるみを覚えた。富士登山....
くろがね天狗」より 著者:海野十三
」 と、帯刀は暗然として腕を拱いた。 高松半之丞というのは、帯刀から云えば、亡友高松半左衛門の遺児で、同じ旗の本に集っていた若侍、また岡引虎松から云えば、世....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
も、「ここだも騒ぐ鳥の声かも」とだけに云い切れないから、此歌はやはり優れた歌で、亡友島木赤彦も力説した如く、赤人傑作の一つであろう。「幾許」という副詞も注意すべ....
おとずれ」より 著者:国木田独歩
幾|度ぞ。 水瀦に映る雲の色は心|失せし人の顔の色のごとく、これに映るわが顔は亡友の棺を枯れ野に送る人のごとし。目をあげて心ともなく西の空をながむればかの遠き....
河霧」より 著者:国木田独歩
の時つくづくわが生涯の流れももはや限りなき大海近く流れ来たのを感じた。われとわが亡友との間、半透明の膜一重なるを感じた。 そうでない、ただかれは疲れはてた。一....
上野」より 著者:永井荷風
泉旅館は明治三十年頃には紫明館と称していた。その頃わたくしは押川春浪井上唖々の二亡友と、外神田の妓を拉して一夜紫明館に飲んだことを覚えている。四五輛の人力車を連....
十六、七のころ」より 著者:永井荷風
わたくしは今でも忘れずにおぼえている。 わたくしは裳川先生が講詩の席で、始めて亡友|井上唖々《いのうえああ》君を知ったのである。 その頃作った漢詩や俳句の稿....
西瓜」より 著者:永井荷風
たが、避姙の法を実行する事については寸毫《すんごう》も怠る所がなかった。 わが亡友の中に帚葉山人《そうようさんじん》と号する畸人《きじん》があった。帚葉山人は....
十日の菊」より 著者:永井荷風
うと思い定めた。 わたしはいかなる断篇たりともその稿を脱すれば、必《かならず》亡友|井上唖々《いのうえああ》子を招き、拙稿を朗読して子の批評を聴くことにしてい....
深川の散歩」より 著者:永井荷風
かしとさして変りがない。かくの如き昔ながらの汚い光景は、わたくしをして、二十年前亡友A氏と共にしばしばこのあたりの古寺《ふるでら》を訪うた頃の事やら、それよりま....
すみだ川」より 著者:永井荷風
ある。即ち明治四十二年の秋八月のはじめに稿を起《おこ》し十月の末に書き終るが否や亡友|井上唖唖《いのうえああ》君に校閲を乞い添刪《てんさん》をなした後《のち》草....