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「享和〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

享和の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
ら、申し残りの処を一席お聞きに入れます。さてお話が二つに分れまして、ちょうど時は享和《きょうわ》の二年七月廿一日の事でございまする。下総の松戸《まつど》の傍《わ....
古代国語の音韻に就いて」より 著者:橋本進吉
って現れております。その一は『古言清濁考《こげんせいだくこう》』であって、これは享和《きょうわ》元年に版になっております。もう一つは『仮名遣奥山路《かなづかいお....
名人長二」より 著者:三遊亭円朝
是れ名人競たるを知らん。 乙未初秋 土子笑面識 一 これは享和二年に十歳で指物師清兵衛の弟子となって、文政の初め廿八歳の頃より名人の名を得....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
の世をあとから歩いて来るものの探るに任せて置いて、新しい世紀のやがてめぐって来る享和元年の秋ごろにはすでに過去の人であった。半蔵らに言わせると、あの鈴の屋の翁こ....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
普智山の噴火があった。同十一年五月には、加賀の金沢に地震があって、宮城浦に海嘯。享和二年十一月には、佐渡に地震があって、小木湊に海嘯。文化元年六月には、羽前、羽....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
体仏の彫像、その大願を成就したが、それで故郷に大安住の終りを求めたわけではない。享和二年の末つ方、またも故郷を立ち出でて、再び故郷へは帰らざる旅に出た。 その....
くろん坊」より 著者:岡本綺堂
一 このごろ未刊随筆百種のうちの「享和雑記」を読むと、濃州徳山くろん坊の事という一項がある。何人から聞き伝えたのか....
」より 著者:岡本綺堂
代における木曾路のすがたは大抵想像されるであろう。 蜀山人がここを過ぎたのは、享和二年の四月|朔日であるが、この物語はその翌年の三月二十七日に始まると記憶して....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
入軽焼の義は世上一流|被為有御座候|通疱瘡はしか諸病症いみもの決して無御座候に付享和三|亥年はしか流行の節は御用|込合順番札にて差上候儀は全く無類和かに製し上候....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
景一覧《こうとしょうけいいちらん》』(寛政十一年板)『東都遊《あずまあそび》』(享和二年板)『山復山《やままたやま》』(文化元年板)『隅田川両岸一覧《すみだがわ....
日和下駄」より 著者:永井荷風
お》が路地口《ろじぐち》のさまを描いた図がある。歌川|豊国《とよくに》はその時代享和二年のあらゆる階級の女の風俗を描いた絵本『時勢粧《いまようかがみ》』の中《う....
性に関するアイヌの習俗」より 著者:河野広道
和人に小便をかけられながら、おとなしく償を出したのである。 勝知文の東夷周覧(享和元年)にはメノコの女陰を見た和人が償をとられそうになってやっと助かった話を次....
特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
戸にも上っているという。紀州の森彦太郎君の報告によると、同国日高郡高家川部落は、享和四年に同郡下志賀部落より三戸の移住者が開いたもので、今では十六戸に達している....
特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
令は、 候。右は寺社奉行中え懸合之上申達候。以上。 とある。これより十七年前、享和二年四月の江戸浅草本願寺輪番東坊・長覚寺連署の東派浄土真宗一派階級之次第とい....
来り人の地位と職業」より 著者:喜田貞吉
懸人に相|居、医者又は賤しからざる渡世仕来候者は、郡付亦は郷付浪人等に申付候様、享和二戌年御内達に有之。 とある。こんな有様で、相当の身分のものは相当の待遇を....