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「享年〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

享年の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
石を給され、晩年をこともなく過し、慶安《けいあん》三年九月十日に薨《こう》じた。享年五十六歳であった。 忠直卿の晩年の生活については、なんらの史実も伝わってい....
幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
文字を読んだが、少し驚いた。「輪田夏子之墓」と有る。「明治二十九年七月十一日死、享年廿二歳」と左右に記して有る、輪田夏子とは誰、読者は前回の記事を記憶して居るだ....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
|逓信省を去りし私として本令の施行は何等興味なし。 ◯萩原大祖母さん、昨夜死去。享年八十歳。お悔みに行く。(香奠金四拾円) ◯小栗虫太郎、信州より出て来る。うち....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
居を免ぜられたことも知らずじまいに、江戸|駒込の別邸で波瀾の多い生涯を終わった。享年六十一歳。あだかも生前の政敵井伊大老のあとを追って、時代から沈んで行く夕日の....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
示を読んだ。そして、二人ともしばらく高札場の付近を立ち去りかねていた。あだかも、享年わずかに二十一歳の若さで薨去せられたという将軍を街道から遠く見送るかのように....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
之助が養生もかなわず、にわかに病勢の募ったための惜しい最期であったことを知った。享年四十五歳。遺骸は故人の遺志により神葬にして万福寺境内の墓地に葬る。なお、長男....
草迷宮」より 著者:泉鏡花
と鬼と組んだ横倒れ、転廻って揉消して、生命に別条はなかった。が、その時の大火傷、享年六十有七歳にして、生まれもつかぬ不具もの――渾名を、てんぼう蟹の宰八と云う、....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
何物も一切なかった筈である。 中の物をとりだした。字が書いてある。 「蛭川真弓享年四十八歳」 位牌ではないか。蛭川真弓とは父の名だ。享年四十八。父の現在の年....
赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
詳かに探って復命したほどの、大貿易商であり武人である所の――島井宗室は病歿した。享年七十七であった。 遺命を受けた九郎右衛門が、宗室の次子を家督に据え、二代目....
可能性の文学」より 著者:織田作之助
坂田三吉が死んだ。今年の七月、享年七十七歳であった。大阪には異色ある人物は多いが、もはや坂田三吉のような風変り....
ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
グの死去の報を聞いたが、その夜自分も中風で死んだ。一八二九年五月二十九日である。享年五十一。 詩人カレッヂが評していうのに、「デビーは一流の化学者にならなくと....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
いに永眠されたのでありました。それは、明治十二年九月二十三日の午後十時、師匠は、享年五十四でありました。 法名は、光岳院法誉東雲居士、墓は下谷区|入谷町静蓮寺....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
さびしく聞こえた。その夜はまったく寂しい夜であった。団十郎は天保九年の生まれで、享年六十六歳であると聞いた。その葬式は一週間の後、青山墓地に営まれたが、この日に....
ろくろ首」より 著者:小泉八雲
では先生よりもすぐれて、大胆で熟練な勇士の腕前を充分にあらわしていた。その後、永享年間(西暦一四二九―一四四一)の乱に武功をあらわして、ほまれを授かった事たびた....
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
れども、これは余り好い心持ではございません。然ういう華美な装を致しまするのを、延享年中の流行言葉で伽羅な装と云い、華美な装をする人を伽羅な人と云い、ちょっと様子....