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「京人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

京人の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
彼 第二」より 著者:芥川竜之介
」 「柳橋《やなぎばし》だよ。あすこは水の音が聞えるからね。」 これもやはり東京人の僕には妙に気《き》の毒《どく》な言葉だった。しかし彼はいつの間《ま》にか元....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
で、奥さまはそれほどの容貌《きりょう》よしでもなかったが、その腹に生まれたお春は京人形のように可愛らしい、おとなしやかなお嬢さまであったそうです。 そこで主人....
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
並んでいた。流石に、今日は、店を閉めているところが、少くはなかったが、中には、東京人特有の度胸太さで、半ば犠牲的に、避難民のために、便宜をはかっている家も、見う....
蠅男」より 著者:海野十三
て頁をめくっていった。 そのうちに、いつしか糸子は本をパタリと膝の上に落とし、京人形のように美しい顔をうしろにもたせかけて、うつらうつらと睡りのなかに誘われて....
渾沌未分」より 著者:岡本かの子
なった放水路の川向うの江戸川区には移り住むのを極度に恐れた。葛西という名が、旧東京人の父には、市内という観念をいかにしても受付けさせなかった。ついに父は荒川放水....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
五株か六株の柳の蔭がこれほどの功徳を施していようとは、交通機関の発達した現代の東京人には思いも及ばぬことであるに相違ない。その昔の江戸時代には、ほかにもこういう....
カンカン虫殺人事件」より 著者:大阪圭吉
ちていた広告マッチのレッテルには「小料理・関東煮」としてある。関東煮とは、吾々東京人の所謂おでんの事を好く関東煮と呼ぶ。殊に関西では、僕自身|度々聞いた名称だよ....
伊勢之巻」より 著者:泉鏡花
塗の広告まで、土佐絵を見るような心持のする国だから、赤い唐縮緬を着た姐さんでも、京人形ぐらいには美しく見える。こっちへ来るというので道中も余所とは違って、あの、....
人造物語」より 著者:海野十三
物としての人形が発達した。 その中でも異色のある人形は、案山子と、左甚五郎作の京人形とであろう。 案山子は、雀や烏を相手に、「おれはお人間さまだぞ。近寄って....
良夜」より 著者:饗庭篁村
足だまりの城として伯父より添書ありしは、浅草三間町の深沢某なり。この人元よりの東京人にてある年越後へ稼ぎに来りしが病に罹りて九死一生となり、路用も遣い果して難渋....
白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
、ちょうど舞台になりますから。……縞の羽織、前垂掛だが、折目正しい口上で、土産に京人形の綺麗な島田と、木菟の茶羽の練もの……大贔屓の鳥で望んだのですが、この時は....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
でも一番目の彰義隊が最も世間の噂に上った。前興行の「め組の喧嘩」に味を占めて、東京人に思い出の多い上野の彰義隊一件を脚色して上演した興行政略が再び図にあたって、....
御堀端三題」より 著者:岡本綺堂
五株か六株の柳の蔭がこれほどの功徳を施していようとは、交通機関の発達した現代の東京人には思いも及ばぬことであるに相違ない。その昔の江戸時代には、他にもこういうオ....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
務長官となった。 柴大佐は後の柴大将であるが、大将の恩威並び行なう善政は全く北京人をして感涙にむせばせたものであった。 柴長官は先ず安民公署という分署を東西....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
時代の僕などには実に英雄そのものだった。それから浦里時次郎も、――僕はあらゆる東京人のように芝居には悪縁の深いものである。従って矢張り小学時代から浦里時次郎を尊....