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京洛
「京洛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
京洛の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「恩讐の彼方に」より 著者:菊池寛
諸人救済の大願を起し、諸国雲水の旅に出たのであった。 美濃の国を後にして、まず
京洛の地を志した。彼は、幾人もの人を殺しながら、たとい僧形の姿なりとも、自分が生....
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
がかかった。 「左様では、ござりましょうが……」 軽輩ではあったが、大坂にいて
京洛の事情に通じているために、特に列席を許された藤沢恒太郎が、やや下手の座から、....
「金魚撩乱」より 著者:岡本かの子
方へ散っている。湖水中での良質の水が汲まれるというのでここを「もくもく」と云い、
京洛の茶人はわざわざ自動車で水を汲ませに寄越す。情死するため投身した男女があった....
「鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
人ばかり討死した。剣では、どうにも仕方がなかったのであろう。 数年来新選組は、
京洛の地に於て、薩長の志士と睨み合っていたが、その清算が今度の戦争で行われたわけ....
「小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
低声にもの言えり。令嬢浪子の疾革まれるなり。 かねては一月の余もと期せられつる
京洛の遊より、中将父子の去月下旬にわかに帰り来たれる時、玄関に出で迎えし者は、医....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
男、変装に巧《たく》みで、さまざまの容姿《なり》をして、壬生《みぶ》や島原の間、
京洛《けいらく》の天地を探っていた男。 「ともかく、湯から上ろう、もっと委《くわ....
「雪たたき」より 著者:幸田露伴
義弘が幕府から此地を賜わった。大内は西国の大大名で有った上、四国中国九州諸方から
京洛への要衝の地であったから、政治上交通上経済上に大発達を遂げて愈々殷賑を加えた....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
げ出されてあることの理由はよくわからないのです。 これが、前に言う通り、昨今の
京洛の本場であってごろうじろ、たとえ一箇にしろせっかく取った生首を、こんなに不経....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
しめることにする。
そこで、坂本竜馬は、四明ヶ岳の絶頂の巌の上の尖端に立って、
京洛中を指して、何を言うかと見れば、
「今の京都は近藤勇の天下だよ、イサミの勢力....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
です、北の方の高山という高山が、みんな眼の中に落ちて来ると共に、南の平野も、西の
京洛も、それにあの通り日本一の大琵琶の湖が、眼の下に控えているのですもの、風景の....
「「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
人の笑や世のそしりなんかにはとんじゃくなく思いはかられない事許りなすった。その頃
京洛中に又とないと云われた白拍子の義王、義女と云う姉妹があった。これは閉と云う白....
「徒然草の鑑賞」より 著者:寺田寅彦
を迷わす例がある。猫又のゴシップの力で犬が猫又になる話や、ゴシップから鬼が生れて
京洛をかけ廻る話などがそれである。現代の新聞のジャーナリズムは幾多の猫又を製造し....
「雪の宿り」より 著者:神西清
が相国寺の焼跡に立ったのは、翌る日のかれこれ巽の刻でもございましたろうか。さしも
京洛第一の輪奐の美を謳われました万年山相国の巨刹も悉く焼け落ち、残るは七重の塔が....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
に悠遊した。多くの人が行李を抱いて一度郷里に帰り去って後も我らはなお暫く留まって
京洛の天地に逍遥うていた。 それから夏季休暇は松山で過ごして碧梧桐君と相携えて....
「六日月」より 著者:岩本素白
祇園の通りは、暢ん気に歩いて居れば何時通っても楽しいところである。八つ橋、豆板、
京洛飴、或はかまとした角の茶亭の白けた灯を右に見て、高台寺の方へ歩いて行く。 ....