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京畿
「京畿〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
京畿の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「貉」より 著者:芥川竜之介
に見えたからであろう。……
この話は、たちまち幾百里の山河《さんが》を隔てた、
京畿《けいき》の地まで喧伝《けんでん》された。それから山城《やましろ》の貉が化《....
「乱世」より 著者:菊池寛
いた。 捨札には達筆で、次のように書いてあった。 桑名藩 新谷格之介 右者
京畿ニ於テ錦旗ニ発砲シタルニ依ツテ羽津光明寺ニ謹慎仰付候ニモ拘ラズ潜カニ脱走ヲ企....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
成の本拠であった河内東条と、行宮のある吉野は、官軍の二大作戦根拠地であった。時の
京畿官軍の中心は言うまでもなく、正行の率いる楠党であった。 八月十日、正行は和....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
しさに満たされて来た。名古屋と京都との往来も頻繁になって、薩長土肥等の諸藩と事を
京畿に共にしようとする金鉄組の諸士らは進み、佐幕派として有力な御小納戸、年寄、用....
「柳毅伝」より 著者:田中貢太郎
きたので、煩さがって洞庭へ帰って行った。 開元の末になって、柳毅の義弟の薜瑕が
京畿の令となっていたが、東南に謫官せられて洞庭湖を舟でとおっていると、不意に水の....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
仕打はせまい。余は日本を愛するが故に、日本が無趣味の邦となり果つるを好まぬ。余は
京畿を愛する故に、所謂文明に乱暴されつゝある
京畿を見るのが苦痛である。
....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
》滅茶だった。永禄の前は弘治、弘治の前は天文だが、天文よりもまだ前の前のことだ、
京畿地方は権力者の争い騒ぐところで有ったから、早くより戦乱の巷《ちまた》となった....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
》はやむを得ませんが、なにしろ、相手が秀吉ですからなあ。徳川家康でさえ、あの時に
京畿の間にいたんですが、手も足も出ない、それを、あの秀吉が疾風迅雷で中国からかけ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
根を曇らせて、 「甲府が関東の険要であるとおなじ理由によって、飛騨《ひだ》の国が
京畿《けいき》の要塞になるのでござる――ごらんなさい」 と言って懐中から一枚の地....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
書いた。 その年転じて叡山に遊び、ここを中心として南都、高野、天王寺、園城寺等
京畿諸山諸寺を巡って、各宗の奥義を研学すること十余年、つぶさに思索と体験とをつん....
「赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
け、わけても関白秀吉の為めには、朝鮮征伐の地勢調査として自ら韓人に変装し、慶尚、
京畿、平壌などを、詳かに探って復命したほどの、大貿易商であり武人である所の――島....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
これあるべし。しかも彼らは夷人の感化影響を受け、東人と成りおわりたるものなれば、
京畿の※紳より目してこれを夷となす、またゆえなきにあらず。武士と夷とその相関係す....
「「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
ので、新撰姓氏録には特にこれを巻首に置き、その序に、「真人は是れ皇別の上氏なり、
京畿を並集して以て一巻となし、皇別の首に附す」と述べて、他の皇別諸氏との間に区別....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
ことは、「浄行僧」あるいは「清行僧」という語のあったことで、早く慶雲二年六月に「
京畿内の浄行僧九人を選び山房に住せしむと『続日本紀』にある。ただに後の学侶・聖等....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
外浮浪の民の如きは、原則としてみな非人であるのだ。刑期満ちて本貫に帰らず、引続き
京畿に流寓していたものが、非人として扱われたのはやむをえなかった。 本貫に帰ら....