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「京都大学〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

京都大学の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
青木の出京」より 著者:菊池寛
正比例して増進していった。たしか彼が、近藤家へ移ってからのことであった。その頃、京都大学の哲学教授で、名声|嘖々《さくさく》として、思想界の注目をひいていた北田....
新生」より 著者:島崎藤村
「これがマロニエの花ですか」と岸本が言った。 「どうです、好い花でしょう」 「京都大学の先生がストラスブウルから葉書をくれてね、『マロニエが咲いたらなんて話が....
初蛙」より 著者:薄田泣菫
愛して、それに音曲を仕込んだ心を、私はなつかしまずにはいられません. 二京都大学のK博士が、知恩院の境内に住んでいた頃、ある日の夕方山内をぶらぶら歩いて....
小浅間」より 著者:寺田寅彦
を現わしているのであるが、その柱の一面に年月日と名字とが刻してある。これは数年前京都大学の地球物理学者たちがここにエアトヴァスの重力偏差計をすえ付けて観測した地....
艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
したわけで私にはもう不用になっていたものなのである。 それから二、三日すると、京都大学のD博士がふらりと遊びに来た。博士は聞えた外国文学通で、また愛書家でもあ....
夜叉ヶ池」より 著者:泉鏡花
から坊主が何を吐す。 学円 いかにも坊主じゃ、本願寺派の坊主で、そして、文学士、京都大学の教授じゃ。山沢学円と云うものです。名告るのも恥入りますが、この国は真宗....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
なるが如く云々と補充の出来るところなのである。この御歌の下の句の訓も、古鈔本では京都大学本がこう訓み、近くは略解がこう訓んで諸家それに従うようになったものである....
工学博士末広恭二君」より 著者:寺田寅彦
に文筆をもって世に知られた人である。恭二君はその次男で、兄は重雄、法学博士で現に京都大学教授である。恭二君は明治十年十月二十四日東京で生れ、芝桜田小学校から日本....
次郎物語」より 著者:下村湖人
」 「その人ですよ。ほら、こないだ先生からお話があったのは。」 「はああ、あの、京都大学で哲学をおやりになって、今、中学校の先生をしていらっしゃるって方?」 「....
『演劇』あとがき」より 著者:岸田国士
た。 一、どんな芝居がよい芝居か この問いに答える最も適当な人として、私は、京都大学教授英文学者にして、演劇学者として私の長年にわたる演劇活動を通じての畏友....
法学とは何か」より 著者:末弘厳太郎
ができる。 この理は従来既に多くの学者によって説かれているところであるが、最近京都大学の青山秀夫教授が著された『マックス・ウェーバー』のなかに、この点が比較的....
画道と女性」より 著者:上村松園
高松宮家へ御輿入になる徳川喜久子姫の御調度の一にお加えになるのだからと申すので、旧臣の総代として京都大学の新村博士が私のところに見えられ、御屏風揮毫の御依頼がありました。それを....
青春の息の痕」より 著者:倉田百三
紙を書く時期はもう永久にないであろう。が私がそのような手紙を宛てた久保正夫君は、京都大学を卒えて、同志社大学に君独特のスタイルでのフィヒテ哲学を講じつつあった間....
編輯雑感」より 著者:喜田貞吉
いとの希望を起した。爾来記録を尋ね文書を探って、多少得るところあるを自覚し、十月京都大学読史会大会で、「余戸」に関する研究の一端を発表した。 本年一月から本誌....
融和促進」より 著者:喜田貞吉
ものでないと考えました。たしか明治四十一年の春であったと記憶しますが、私が始めて京都大学の講師として赴任した年のこと、同地の天部の篤志家故竹中庄右衛門翁の家庭を....